俳句的生活(150)ー小出川の堰ー

日本の水田では、田圃の脇に幅30cmぐらいの水路があり、田植えの時には、水路を板で塞いで水位を上げて、田に水を流し込んでいます。その水路には、親となる幅1mぐらいの用水路から、水を引き込んでいます。そして用水路には、川に堰をつくり、水を取り込んでいるのです。

小出川には下流から、萩園堰、西久保堰、新道堰、矢崎堰という4つの堰があります。本稿ではそのうちの、新道堰と西久保堰の2つを紹介するものです。

新道堰は、小出川彼岸花(添付1)の自生する区間―大黒橋~新道橋ーの30mほど下流に設けられています(添付2,3)。小出川はこの辺りでは、川幅3m程度に狭まっていますので、堰の構造は単純で、上下出来る鉄板で水位を上げて用水路に流し込んでいます。江戸時代からこの方法で成り立っていたと思います。

ところが西久保あたりにまで下ってきますと、川幅は広くなり、板で川を塞き止めることが出来なくなり、近代では堰柱を備えたものが出来てきました(添付4)。江戸時代に西久保での堰がどんなものであったかは、まだ調査できていません。現在、西久保の堰では、水を通した土手の反対側に用水路があって、水田魚道という案内板が立てられています(添付5)。田への水路の説明に、魚道を追加しているのには、時代の流れを感じます。

日本の大きな川での堰で有名なのは、京都嵐山の大堰川です。渡来人である秦氏が造ったということで、当時の日本人にはまだ造るだけのノウハウがなかったのでしょう。中洲を造り、人工的に川幅を狭くしたところから取水しているのです。この手法は、国境なき医師団の中村哲さんもアフガンで試みています。志半ばで凶弾に倒れたことは、返す返すも残念に思います。

国境の無き大空や鳥渡る

添付1 彼岸花の案内図
添付2 新道橋から見た新道堰
添付3 新道堰
添付4 西久保堰
添付5 魚道