俳句的生活(135)-鴫立庵芳如の句碑ー

鴫立庵十八世の庵主である芳如は、東京市士族の娘で、名を鈴木よ志といい、生年の明治17年という年は、奇しくも私の祖父と同じ年で、私達よりも2世代上の人です。鴫立庵の庵主は現在まで23人おられますが、芳如は女性として初めての庵主となった人です。庵主としては、昭和18年から昭和37年まで務め、毎年3月に行われている西行法師を記念しての句会は、彼女が創設したといわれています。

その芳如の句碑が、浄見寺にもあるということを知り、見てまいりました。句碑の場所は、六地蔵の前の石段を上がった大岡家一族の墓石があるところで、オハツキイチョウの脇に並んでいる四基の歌句碑の中の一つです。その句は、

花守りとならばや月も夜頃とて  十八世鴫立庵芳如 八十九

というもので、最晩年の89歳の時のものです。この句碑の由来については、まだ調べはついていません。鴫立庵は、江戸前期からの俳句道場で、歴代の庵主は俳人で、句会を指導したり、句集の選者となってきました。芳如も茅ヶ崎との交流が多く、まだまだ他に句碑は遺っているものと思われます。

鴫立庵には、歴代庵主の句碑が置かれています。芳如の句は、

春の海ささら波して遠からず

というものです。浄見寺の句からもこの句からも、女性らしい優美さが感じられます。

大夕焼大磯照ケ崎海岸

浄見寺の歌句碑
淨見寺の四基の歌句碑
芳如の句碑
鴫立庵芳如の句碑