俳句的生活(134)-大山古道吟行の句碑ー
松林小学校の西側に、長福寺という相模国準四国八十八ヵ所の札所にもなっている真言宗のお寺があります(添付1)。そこに、大山古道吟行の句碑があるというので、実地見分してきました。
この吟行が行われたのは、昭和27年4月10日で、サンフランシスコ講和条約が発効される18日前のことでした。句碑の表には、吟行の主導者であった飯田九一の、
踏みて来し雲雀が起臥の野芳し 九一
という句が刻まれています(添付2)。裏面には、同行した九一夫人を含めて、参加した10人の句が刻まれています(添付3)。この石碑は、根府川石という箱根噴火による安山岩で出来て居るものです。70年近く経過しているもので、石碑面からだけでは読みづらいのですが、幸いにして、九一が編纂した「大山古道を探る」という冊子が遺されていて、それによって、全句を確認することができます。
高麗狗に松上風光るのみ 松風郎
塚の辺や春のしめりの土器かけら 聴笙子
鎌塚の春田へ映る影かすれ 梢雨
そのかみの鳥居の趾や蟻遊ぶ 茅滴子
松毛虫古歌のしるべを道の端に 華頂女(九一夫人)
出土器に板碑に寺史も霞けり 蕉風
春や春岐路に立てども和合神 あしかび
鷺茶屋の鷺見ぬ日和春惜しむ 晃月
伝説の河童生みし川朧 勝
弥陀仏の一尊反れり春寒し 博徳
一番目の作句者の松風郎とは、ブログ(101)で紹介した萩園八景の作句者の鈴木松風郎です。萩園の人がこのような吟行に参加していたということを知るのも愉快なことです。どの句も、蕪村を思わすような、長閑な田園を詠んだものになっていて、読んで楽しいです。
この石碑は、吟行が行われた翌年の3月8日に作られたものですが、その除幕式に参加した鴫立庵主の芳如という人が、傘を忘れ、それを送り届けた長福寺の住職への礼状に句が添えられて、その句がまた石碑として遺されています(添付4)。これまた粋な計らいです。
忘れ傘して梅の香が偲ばるる 鴫立庵十八世芳如
茅ヶ崎の俳人たちの一部のグループは、江戸期より鴫立庵から俳句の指導を受けていました。この流れは昭和にまで続いていたのでした。大山古道吟行会に参加した人たちは、そのグループであったのでしょう。九一のこの句碑は、茅ヶ崎俳人の句碑建立の魁になったと言われています。
大山に落つる春日や和合神 游々子



