俳句的生活(133)-萩園の辻ー

八王子道(萩園通り)と鶴嶺通りが交わるところは、辻西という交差点になっています。迂闊にも、ここが萩園の辻であると思い込んでいたのですが、鶴嶺通りは戦後に出来た道なので、有り得ないことだったのです。

では何処だったかということですが、萩園通りにあるマインマートの少し南側に、西に向かう道があり、東には、少しずれるのですが、みなもと幼稚園に至る道があります。おそらくここが辻であったのだと思います。古い地図を見ますと、萩園通りの東側に辻という字(あざ)の地区名が記載されています。これは、鶴嶺通りの少し東に辻東というバス停があるので、これとも合致し、更にマインマートの前のバス停名が萩園辻というので、ほぼ間違いないことと思います。

ところが、マインマートの南側の道を西へ80m進んだところにある日枝神社の石碑に、萩園辻(添付1)と刻まれていて、しかも日枝神社の脇は、十字路になっているのです。南北の道は少し先に住宅が出来ていて行きどまりになっているのですが、昔は畑の中を道は続いていたものと推測します。この四つ角も辻と呼ばれた可能性が残っています。この日枝神社は、1年近く前に社殿が取り払われて、今は庚申塚もむき出しの更地のようになってしまいました。

日枝神社の南側の道の反対側に和田家の墓地があります。11代の清左衛門、12代の篤太郎、13代の節三郎の3個の墓石が、ひときわ大きく造られています(添付2)。和田家から墓地には、八王子道ではなく、日枝神社に向かって南へいく道が最短の道であったと思っています。

十四代のくぐる赤門春うらら

萩園辻
添付1
和田家墓地
添付2