俳句的生活(132)-茅ヶ崎漁港ー

魚市場を調べたついでに、市場と対をなす漁港についても調べてみました。茅ヶ崎の沿岸漁業は、柳島、南湖、小和田を中心として、専ら地引網漁法で、江戸から大正まで、半農半漁の営みを続けてきました。東海道以南の土地は砂地で、米作に適さず、麦や芋が畑の主産物で、漁業抜きでは考えられなかったのです。

ところが、地引網漁法は、関東大震災での土地の隆起で、水揚げ量が激減してしまいました。本来なら、その時点で、漁業復興事業に投資されるべきですが、県の政策は湘南遊歩道や上水道の建設に向けられ、漁業への投資は後回しにされたのです。

本格的に漁業への投資が始まるのは、戦後の食糧難に直面してからです。石碑に書かれているように、茅ヶ崎漁港の整備は、昭和26年に着工され、平成2年の竣工まで40年の年月をかけて、漁港を取り巻くような防波堤を作り、岸壁には、荷揚げ‣船揚げが出来るようなりました。この間、整備計画は八次にもおよび、艱難辛苦を乗り切っての完成といえます。

漁港の入口には、沖右衛門丸やちがさき丸などの釣舟屋が並んでいます。漁業の中心が、1次産業から3次産業にシフトしているのかも知れません。平塚の須賀漁港との棲み分けはどうなっているのか、知りたいところです。平日の漁港には、ほとんど人は居なく、富士の見える浜で、投げ釣りをしている人が数人いるだけでした。

何かやり残しありけり秋の浜