俳句的生活(117)-鎌倉古道ー

かって柳田国男が、鎌倉古道のことを調べようとして、その数があまりにも多いので諦めたという逸話があるほど、この名称を持つ道は、関東各地に点在しています。茅ヶ崎地区のそれは、鎌倉の極楽寺口から、片瀬、辻堂を経由して東海道の北側を西に向かい、旧相模川橋脚に至る道です。その大部分は住宅化され、辿ることが出来ないのですが、今尚はっきり残っているのは、市立病院の北側から本村の八王子神社の裏側に通じている道です。鎌倉古道とは、江戸期以前の中世における鎌倉に通じている道の総称で、鉢の木の物語のように、”いざ鎌倉”という時の為に用意された軍用道路です。

茅ヶ崎の鎌倉古道がユニークなのは、古道に面している八王子神社の由緒書きに、新田義貞が鎌倉を攻める前日に、戦勝を祈願してこの神社に立ち寄ったことが記されていることです。そして守る側の北条軍では、極楽寺口の大将として、懐島の領主である北条(大仏)貞直という武将が配置されたことも、運命というものを感じます。残念ながら貞直は、新田軍が稲村ケ崎の海岸から鎌倉に突入したあと、防御陣は総崩れとなり、得宗の高時が東勝寺で自害した日に戦死しています。

神奈川の鎌倉古道は、京・鎌倉往還道として、後北条氏が玉縄城を築き、東海道が出来るまで、東西交通の幹線道でした。古い道を辿ることは、ロマン溢れる歴史散策です。

懐島は、鎌倉幕府滅亡後、尊氏の弟の直義が支配することになりました。直義のあとは、尊氏の次男の系統である鎌倉公方の支配地となり、後北条氏が勃興するまで続くことになります。

ほととぎす剣を投ず古戦場

八王子神社の由緒沿革