俳句的生活(118)-大山街道の句碑ー

大山街道を赤羽根から高田方面に進むと、室田小学校入口を過ぎた右側に、神明大神社一之鳥居が建っています。本来は、大山街道から長い参道の先に本殿があったのですが、今は新湘南国道によって参道が分断され、本殿に行くには歩道橋を越えていくようになってしまいました。現在この神社の宮司は非常駐で、鶴嶺神社の宮司さんが兼務しているのですが、かっては杉崎家というこの土地の大地主が、代々宮司を務めていました。

その杉崎家の墓地が、鳥居のすぐ脇にあり、江戸時代から令和までの墓石が置かれています。その墓地の一角に、次のような二人の句が刻まれた石碑が作られています。

春風やいそがぬ人の袖を吹く   杉崎鳥花
密会のかなしみに泣く蛍かな   添田唖蝉坊

杉崎鳥花の鳥花は俳号で、本名は杉崎鍋之進といって、神明社の宮司でした。添田唖蝉坊は、明治から大正にかけての壮士演歌の第一人者で、神奈川の100人にも選ばれている人です。生まれは大磯でしたが、菱沼の女性と結婚し、茅ヶ崎には明治35年から43年まで暮らしました。その場所は駅前の釜成屋の向かい側、釜成屋とは「八景せんべい」を発売した饅頭屋さんです。

唖蝉坊は俳句を、友人である杉崎鍋之進から手ほどきを受けて始めました。壮士演歌師と大地主でもあった神官とがどのようにして知り合ったのかは、興味あるところです。この句碑は昭和38年、杉崎家によって作られました。相鉄ローゼンの東側にすみれ幼稚園というのがありますが、これは宮司を離れた現在の杉崎家によって運営されているものです。

神域を穢す車や秋の暮

添田唖蝉坊の句碑
大山街道の句碑