俳句的生活(100)-藤間柳庵の酒友達ー

100回目の記念すべきブログ、テーマを何にするか迷ったのですが、矢張り、郷土の偉大な人物の柳庵さんに、再々登場してもらうことにしました。テーマも軽く酒友達、ということで。

柳島に善福寺という高野山真言宗のお寺があります。開祖は応仁の乱以前にまで遡り、現在までに、20数名の住職さんがお勤めになっています。そのなかで唯一上人の称号を持ち、13代目の住職に就かれた金海上人が、柳庵さんの、気心の知れた酒友達でした。金海上人が住職であった期間は、安政5年(1858年)から明治2年(1869年)の11年間で、柳庵さんにとっても激動の時代でした。そうした間、一時でも世俗を忘れての、高雅な酒の時間は、柳庵さんにとって、かけがえのない至福の時であったに違いありません。

柳庵62歳での金海との酒の席、酒徳を解す という題をつけて、次のような漢詩を創っています。

主客相交はる時
坐間必要の具
高談爰(ここ)に湧き出でて
酔中共に僊宮(せんきゅう)に入る
主客は誰ぞ
主 金海撫松子
客 柳庵墨翁也

というもの。坐間必要の具 とは酒のこと。僊宮とは仙境のことです。自らを筆墨に生きる自覚として、墨翁と称しているところに、柳庵の心意気を感じます。住職さんとの酒を介しての高談、なんとも羨ましい限りです。

善福寺は、相模国準四国八十八札カ所の三十八番目の札所となっています。真言宗のお寺には、弘法大師の御詠歌がひとつひとつ割振られていて、

善福寺のものは、

吹く風に靡く柳の緑より なほ慕はるる法(のり)の恵みは

となっています。

ささくれし杖や大師と蓮花道

弘法大師象
善福寺の弘法大師像