俳句的生活(81)-人類学の泰斗ー

茅ヶ崎の別荘地には、学者の方も多く住まわれていました。当然のことですが、その分野での大御所という地位を占めた人がほとんどです。今日紹介する人は、東京帝国大学の理科大学で人類学教室を主宰し、草創期の人類学、考古学を牽引した坪井正五郎という人です。別荘地の場所は、俳句的生活(59)の旧鉄砲道の稿で、現存する唯一の別荘地として紹介したその別荘地の直ぐ南側に位置していました。

坪井が今なお、輝き続けているのは、彼が発火点となったコロボックル論争にあります。コロボックルとは、北海道や南千島のアイヌの間に伝承されてきた小人のことで、坪井は、コロボックルとは、アイヌの先住民の石器時代の人達であると、その説を支持したのです。大御所がその存在を支持したものですから、この論争は沸騰し、世間の興味を引き付けました。今では否定されていますが、私見としては、発掘された人骨などの判定は、外見からだけでなく、最終的にはDNAレベルの解析に依らない限り、不確定なものだと思っています。古代史や考古学において、仮説というものは幾らでも作ることが可能で、邪馬台国などでは、その所在が淡路島であるとか、果てはエジプトという説まで飛び出してくる始末です。

坪井は洒脱な人で、趣味人でもありました。狂歌などにも長じていて、「遺跡にてよき物獲んとあせるとき心は石器胸は土器土器」のようなものを残しています。坪井は学会でサンクトペテルブルクに出張中に、急性腹膜炎をおこし、50歳という若さで亡くなりました。大正2年のことです。

コロボックルにはロマンを掻き立てられるのでしょうか、長野県の車山には、コロボックル・ヒュッテという名を付けた洒落た山小屋があります。諏訪地方一帯は、縄文の遺跡が多く残されていて、興味つきない地域です。

鳥渡るトロイアの丘夕暮れて

Mr. Shogoro Tsuboi, professor of the College of Science of the Imperial University of Tokyo.jpg
不明 – 『日本之小学教師』第1巻第6号、1899年(湘南堂書店、1984年復刻)。, パブリック・ドメイン, リンクによる

ウィキペディアより引用「坪井正五郎」