俳句的生活(58)-佐々木卯之助ー

鉄砲通りを、東海岸北五丁目の交差点から、少しばかり松ヶ丘の方に進んだ処に、旧鉄砲通りへの入口があります。その角に立っているのが、「佐々木氏追悼記念碑」です。

佐々木家は代々、江戸幕府の砲術師範でした。卯之助も29歳で、相州砲術調練場の責任者である、幕府大筒役となります。砲術師範は、鉄砲場内の管理の役も任され、場内の開墾の許認可にも関わっていたのですが、卯之助は、百姓が耕作地を増やしたいと願い出ると、そのことを幕府には届け出せずに、黙認していたのです。が、ついにはそれが、表面化してしまい、青ヶ島への遠島の刑を受けることになりました。彼はそこで40年間すごし、明治9年81歳で亡くなりました。

この事件が起きたのは、ちょうど天保の大飢饉が始まる時で、茅ヶ崎の農民は長くその恩義を感じていました。上記の石碑の建立は、明治31年6月16日で、茅ヶ崎駅の開業した翌日でした。推進者は初代茅ヶ崎村長の伊藤里之助という人で、茅ヶ崎駅開業を推進した人でもありました。この石碑が最初に置かれたところは、南湖の六道の辻でしたが、最終的に、卯之助に最も思い出深い鉄砲通りに移設されました。昭和56年のことです。毎年5月5日には碑前祭が行われているそうです。

天保の芋や碑前に供へをり

佐々木卯之助石碑
佐々木氏追悼記念碑
佐々木卯之助石碑