鬼を狩る子孫 第二話 影を落とす契約書(1)

(1)
市役所の奥にある応接室。
古びたカーテンは半分だけ引かれ、差し込む午後の光が机の上に斑模様を落としていた。
壁際の時計の針が、やけに大きく「コチ、コチ」と時を刻む。
その音さえも、場の緊張を際立たせていた。

机を挟んで向かい合うのは、市会議員の村尾と、建設業者・田野倉。

机の上には分厚い書類の束と、一枚の契約書。
室内の空気は重く、ぬめり気を帯びたようにまとわりつく。

創作小説の挿絵

「……例の体育館の建設計画だがな」
村尾はわざとらしく書類を指で叩いた。
「委員会のほうは私が手を回してある。残るは入札を形だけ済ませればいい。実際に工事を請け負うのは――おまえの会社だ」

田野倉の肩が小さく震えた。
この一言を聞くまでの数週間、どれだけ神経をすり減らしてきたか。
ようやく結果が転がり込んできたのだ。
だが同時に、彼は村尾の言葉の裏に潜むものを察していた。
「……はい。先生には、いつもお力添えいただき、感謝しております」

その声はかすれて、汗ばむ手でスーツの膝を強く握りしめている。
彼の前には一枚の封筒。
重みがあるそれを、ためらいながら机の端へと滑らせた。
音を立てないように、まるで何かを隠すかのように。

村尾は封筒をちらりと見ただけで、中身を確認しなかった。
「誠意は、ちゃんと受け取った」
口元に笑みを浮かべる。
それは安心を与える笑顔ではなく、相手を絡め取る蛇のような笑みだった。

村尾は視線を契約書に落とす。
「金だけでは済まない。正式な書類にサインをする。それで初めて話は完成するんだ」

田野倉は契約書に目を向ける。
――どういうわけか、紙の上の文字がじわりと滲み出し、黒く濃く、今にも脈打つように揺れて見えた。
契約条項の文字列が妙に長く、さっきまで目にしたものと微妙に違うようにも思える。
だが目をこすって見直すと、どれも普通の言葉にしか見えない。
「(……緊張のせいだろう。これは、ただの契約書だ……)」

深呼吸をひとつ。
田野倉はペンを取った。
カリ、カリ……。
署名の音が異様に大きく、応接室の壁に反響する。
まるで自分の心臓の鼓動が音に変わったかのようだった。

「よし……これで決まりだな」
村尾はゆっくりとペンを走らせ、自分の名を署名欄に書き込む。
インクが紙に吸い込まれていく。
だが同時に、紙の奥で何か黒いものが蠢くように見えた。
二人とも、その異変に気づくはずもない。

「これで体育館の件は動き出す。お互いに得をする話だ」
村尾は笑い、椅子の背にもたれた。
田野倉も、ぎこちなく笑い返す。
重苦しい沈黙のあと、二人の笑い声だけが部屋に浮かんだ。

だがその契約書の奥底。
サインの文字の影が、じわりと滲み広がり、黒い靄を作り出していた。
誰の目にも見えないその靄が、ゆっくりと二人の心を舐め取るように揺らめいていた――。