鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第三章 南都の影(7)

第7回 勧進帳

東大寺の夜は、昼とは別の顔を持っていた。

昼間は人の波が門を満たす。
参詣の者、勧進僧、材木を運ぶ大工、
そして商人。

だが夜になると、
広い伽藍は急に静まり返る。

大仏殿の再建はまだ道半ばだった。

焼け落ちた堂の跡には、
新しい柱材が積まれている。

応仁の乱から三十年。

京の戦は終わったが、
国はまだ戦の中にあった。

守護は弱まり、
国人衆が力を持つ。

寺もまた例外ではない。

東大寺は祈りの場であると同時に、
南都最大の土地と財を持つ勢力だった。

荘園。
山林。
そして――勧進銭。

大仏再建のための寄進は、
都から西国まで集められていた。

銭。
米。
布。
材木。

その流れを動かす者は、
寺の中でも限られている。

今、
その一人が帳面を開いていた。

灯の下に座る僧――

覚円(かくえん)

東大寺勧進の実務を握る僧だった。

机の上には帳簿が広がっている。

銭の数。
寄進の名。
材木の口数。

それを、
もう一人の僧が覗き込んでいた。

白い眉の老僧。

東大寺の長老、
別当・尊範である。

尊範が言った。

「門前が騒がしかったそうだな」

覚円は筆を置いた。

「山の者どもです」

「追い払ったと聞いたが」

「はい」

覚円は微笑んだ。

「棒一本で」

尊範の眉が動く。

「誰だ」

「玄之助という男です」

「寺の者か」

「いえ」

覚円は帳面を閉じた。

「ただの用心棒です」

尊範は黙った。

寺は今、
数百人の人足と職人を抱えている。

材木を運び、
瓦を焼き、
石を刻む。

その周りには、
必ず荒くれが集まる。

だから門前には、
こうした男も必要だった。

尊範は言った。

「近ごろ」

声が低くなる。

「銭の流れを嗅ぎつけた者が多い」

覚円は答えた。

「銭のある所には、虫が寄ります」

尊範はため息をついた。

「虫ならよい」

そして言う。

「だが近ごろは――」

その時、
襖が開いた。

入ってきたのは武士だった。

鎧ではない。

旅装束。

だが腰の太刀は、
ただ者ではない。

尊範が言う。

「遅かったな」

武士は一礼した。

「筒井殿の使いです」

創作小説の挿絵

覚円の目が細くなる。

大和では今、
国人衆の争いが絶えなかった。

筒井。
越智。
十市。

守護の力が弱まると、
彼らが土地を争う。

戦には銭がいる。

兵を雇い、
馬を買い、
鉄砲を手に入れる。

そして今、
南都には銭が集まっていた。

武士が言った。

「大仏再建は結構なこと」

そして続けた。

「だが、その銭」

静かな声。

「道を通る」

覚円は笑った。

「銭はいつも道を通ります」

武士は首を振る。

「そうではない」

机の上の帳簿を見る。

どの道を通るかだ」

尊範が口を開いた。

「寺の銭だ」

武士は答えた。

「寺の銭でも」

そして言う。

「国の中にある」

しばらく沈黙が続いた。

外で夜風が鳴る。

覚円はゆっくり言った。

「門前の騒ぎ」

武士が顔を上げる。

「聞いています」

「ただの山賊ではないでしょう」

武士は笑った。

「さて」

覚円は灯を見つめた。

「銭の匂いは遠くまで届く」

そして言った。

「南都の再建は」

筆を持つ。

「祈りだけでは出来ません」

武士は頷いた。

「それは分かっている」

尊範が静かに言う。

「だが」

その目は鋭い。

「寺は戦場ではない」

武士は答えなかった。

外で、

棒の音がした。

門前の見回りだ。

玄之助だった。

覚円がつぶやく。

「……棒の男」

尊範が問う。

「何だ」

覚円は言った。

「銭より先に」

灯を見つめる。

「争いの匂いを嗅いでいる」

南都の夜は静かだった。

だがその静けさの下で、

銭が動き、
武士が動き、
寺が動いていた。

そしてそのすべては、

まだ門前で
棒を握る男たちの知らぬところで

動き始めていた。


もしよろしければ、次に

第八回

  • 国人衆の争い
  • 勧進銭の輸送
  • 玄之助と権太が巻き込まれる事件

を描くと、
物語が一段大きく動きます。

また必要でしたら、
**この章の歴史背景(奈良の社会構造)**をもう少し精密に組み込んだ版も作れます。