俳句的生活(346)-連句(28)-
8月も下旬となったので、そろそろ秋の式目に移りたいところですが、この猛暑では躊躇してしまいます。新聞には「ハンディファン」とか「空調服」のような新季語が次々と句会に出てきているとの報道がされていました。
連句(28)『涼し風の巻』
令和7年 8/21(木)〜8/24(日)
連衆 二宮 游々子 紀子 典子
(発句) 下鴨の御手洗川に涼し風 二宮
(脇句) 楢の木陰に丸き栗鼠の眼 游々子
(第三句) 行合の雲に誘はれ旅に出て 紀子
(第四句) 車窓に見ゆる広き海原 典子
(第五句) とんぼ飛ぶ月上弦の夕近し 二宮
(第六句) 数多の遺跡抱く秋津島 紀子
(第七句) 八雲立つ出雲の神に里の栗 游々子
(第八句) 一家総出の稲刈終へし 典子
(第九句) フェルメールを恋し調べて夢にみる 二宮
(第十句) 光と影の魔術に惹かれ 紀子
(第十一句) 蘭学の故地に西向く風車小屋 游々子
(第十二句) はるかに巡る波音続く 二宮
(第十三句) 植民地時代の夜明け月冴ゆる 紀子
(第十四句) 大東亜とは夢のまた夢 游々子
(第十五句) 平和への小学生の誓ひ聴く 典子
(第十六句) 鳩舞ひ降り来白亜の塔に 紀子
(第十七句) 海渡りワシントンでの花見会 二宮
(第十八句) ハナミズキ咲く永遠の絆に 游々子
(第十九句) 風光る今日は合唱コンクール 典子
(第二十句) 音楽は世界の共通語 紀子
(第二十一句) ミャクミャクに会ひに二度目の万博へ 典子
(第二十二句) パリにお披露目江戸の浮世絵 游々子
(第二十三句) 灯涼し館の美人画風景画 紀子
(第二十四句) 梔子匂うみどりは光る 二宮
(第二十五句) 冊封の島に流るる加那の恋唄 游々子
(第二十六句) 義母より受くる紅型の帯 典子
(第二十七句) 復興の赤い王宮なる首里城 紀子
(第二十八句) 七福神の宝船の帆 二宮
(第二十九句) 三輪山の観月祭の巫女の舞 典子
(第三十句) 四柱見送る諏訪の団栗 游々子
(第三十一句) 姫路灘喧嘩祭りの練り合わせ 二宮
(第三十二句) 手足伸ばして湯舟に浸かり 典子
(第三十三句) アンコール喝采のコンサートホール 紀子
(第三十四句) 奏者讃える響きの余韻 二宮
(第三十五句) 人なくも咲くな忘れそ山ざくら 游々子
(挙句) 遠く近くに囀聞こゆ 典子
下鴨の御手洗川に涼し風
御手洗川(みたらしがわ)は下鴨神社の湧水を源流とする小川で、葵祭に先立って毎年5月4日に斎王代が禊(みそぎ)をする事になっています。禊といっても、手を水に漬けるだけのものですが。そこに吹く風に涼しさを感じたという句です。
楢の木陰に丸き栗鼠の眼
御手洗川は境内を出た処で「楢の小川」と名前を変えます。この川は百人一首に「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」と歌われて知られています。脇句は発句を補完するものとされていますが、ここでは「木陰」という夏の季語が涼しさに添えられています。糺の森はコナラが多く自生している処です。
行合の雲に誘はれ旅に出て
行合(ゆきあい)とは出会うことで、季節の変わり目、特に夏と秋の移り変わりを意味する言葉になっています。行合の雲とはそうした時期の空の雲で、夏の入道雲や秋のうろこ雲やすじ雲が混在している空を指して居ます。まさに、秋来ぬと目にはさやかに見えねども という夏と秋の境目を詠んでいます。
車窓に見ゆる広き海原
旅は在来線の電車にのんびりと乗っていくのに限ります。
とんぼ飛ぶ月上弦の夕近し
上弦の月が南の空に現れた夕刻、とんぼがまだ飛んでいたという、季節と天文を合わせた句となっています。
数多の遺跡抱く秋津島
秋津はとんぼのこと。そして日本のことは秋津島(秋津洲)と呼ばれていました。
八雲立つ出雲の神に里の栗
それらは古事記の世界でのことで、八雲立つは出雲にかかる枕詞です。
一家総出の稲刈終へし
日本は瑞穂の国。稲作の文化は脈々と今に伝わっています。
フェルメールを恋し調べて夢にみる
フェルメールはバロック期のネーデルラント(現オランダ)の画家で、生物学者の福岡伸一さんが彼の大ファン。現存する作品を世界の美術館を廻って全て見たという人です。フェルメールを恋したというのはその福岡さんのことで、作句者はその福岡さんに関心を持っている人です。
光と影の魔術に惹かれ
フェルメールは光の画家と呼ばれています。代表作に「真珠の耳飾りの少女」があります。俳句においても、光を詠むスペシャリストが居ても良いと思うのですが、如何でしょうか?
蘭学の故地に西向く風車小屋
オランダは日本から見た場合、江戸時代に大変お世話になった国です。オランダは風車の国ですが、偏西風を受けるために風車小屋は西を向いて建てられています。
はるかに巡る波音続く
この句はオランダから日本へ、あるいは東インド会社の本社が置かれたバタビアから日本への航路をイメージしたものでしょうか。
植民地時代の夜明け月冴ゆる
スペイン、ポルトガルに続いてオランダも植民地獲得に乗り出したものです。
大東亜とは夢のまた夢
太平洋戦争において日本は石油を獲得するために、オランダの植民地であったインドネシアに侵攻します。植民地を解放して大東亜共栄圏を打ち立てたと喧伝したものですが、脆くも崩壊してしまいました。
平和への小学生の誓ひ聴く
広島の平和記念式典では、二人の小学生が立派な宣誓を行っていました。
鳩舞ひ降り来白亜の塔に
平和記念公園にある平和の塔に、平和の象徴である鳩が舞い降りてきました。
海渡りワシントンでの花見会
日米友好親善を祈念して、1912年(明治45年)に3000本の桜が東京市からワシントン市に贈られました。植樹されたポトマック河畔は今や全米屈指の桜の名所となっています。
ハナミズキ咲く永遠の絆に
アメリカからは1915年(大正4年)にハナミズキが返礼品として贈られてきました。ハナミズキの花言葉は「返礼」となっています。
風光る今日は合唱コンクール
前句のハナミズキから、本句の作者は、一青 窈(ひとと よう)さんが歌って大ヒットした曲を思い出したそうです。
音楽は世界の共通語
世界が平和になるには、音楽で交流するのが一番かも知れません。
ミャクミャクに会ひに二度目の万博へ
ミャクミャクは今年の万博の公式キャラクターです。
パリにお披露目江戸の浮世絵
日本が最初に万博に参加したのは1867年(慶応3年)のパリでの万博でした。この時に出品された浮世絵が契機となって、パリではジャポニズムが大流行しました。
灯涼し館の美人画風景画
浮世絵の大胆な構図はパリっ子の度肝を抜いたものです。
梔子匂うみどりは光る
梔子(くちなし)は古来からの日本の植物で、飛鳥時代には既に染料として使われていました。ヨーロッパには16世紀に伝わりました。
冊封の島に流るる加那の恋唄
琉球と呼ばれていた頃の沖縄は、清国に冊封し、インドやヨーロッパとも交流を持った国際的な国でした。あのペリー提督も浦賀に来る前には琉球に寄って来ています。
義母より受くる紅型の帯
紅型(びんがた)とは琉球の染色技法で、紅は「色彩」型は「模様」を意味しています。この連句の連衆の女性は二人とも、紅型の帯と着物を持っているそうです。
復興の赤い王宮なる首里城
首里城の復興は今着々と進んでいて、正殿の完成は来年とのことです。
七福神の宝船の帆
七福神の神様は、恵比寿様だけが日本の神様で、あとはインドと中国の神様だそうです。
三輪山の観月祭の巫女の舞
奈良県桜井市にある三輪山は、古くから「神宿る山」とされ、邪馬台国や大和王権と深い関りを持ってきました。天智天皇が都を飛鳥から近江へ遷した時には、随行した額田王が「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや」と詠んだことでも知られています。
四柱見送る諏訪の団栗
三輪山の祭神は大物主ことあの出雲の大国主となっています。大和王権による出雲征服で、平和的譲渡(国譲り)に抵抗した大国主の次男のタケミナカタは大和との戦いに敗れて諏訪に入り、四本の柱で囲まれた範囲から外に出ないという約束で、諏訪大社に神として祀られることになりました。四本の柱は7年ごとに新調されて、樅の巨木が諏訪の山から伐り出されています。
姫路灘喧嘩祭りの練り合わせ
兵庫県の姫路市では毎年10月に、灘の喧嘩祭とよばれる華やかで勇壮な祭りが繰り広げられています。それはあたかも諏訪の御柱祭を彷彿とさせるものになっています。
手足伸ばして湯舟に浸かり
祭のあとは、ゆったりと湯舟に浸かるのが一番のご褒美です。
アンコール喝采のコンサートホール
この句の作句者は、この句をコンサートの合間に作っています。
奏者讃える響きの余韻
アンコールの拍手の響きは鳴りやまないものです。
人なくも咲くな忘れそ山ざくら
深山の桜は、見てくれる人がいなくても、毎年けなげに花を咲かしています。
遠く近くに囀聞こゆ
山ではあちらこちらに小鳥の鳴き声が聞こえ、涼感を高めています。
今回の連句も、涼しさが発句と挙句で詠まれています。絵巻物の展開としては如何だったでしょうか。


