添削(72)-あすなろ会(28)-

遥香さん

原句 風に咲き風に溢るる百日紅

百日紅はさるすべりの樹で、リフレインされている風との取り合わせで動きと季感が出ている佳句です。問題は二番目の風の後に続く “溢るる” という動詞に違和感があることです。この「溢れる」という動詞は、現在はまだ花が咲いていて、満開という沸点に達して散り始めたという意味を持っています。すなわち半分ほど、いまだ咲いているというニュアンスがある為に、一番目のリフレインと被ったところがあって、折角のリフレインの切れを損ねているのです。”咲き” に被らない動詞を考えてみます。

参考例1 風に咲き風にこぼるる百日紅

「こぼるる」にすることで、咲いている状態のニュアンスから離れ、花びらが風に散っていく様子へと軸足を移します。

参考例2 風に咲き風にさざめく百日紅

「さざめく」にすることで、咲くという視覚から離れ、風に揺れる葉や花の音といった聴覚に切り替えます。

これらによって、リフレインをより引き立てることが出来ます。

原句 白南風の海を広げる白帆かな

白南風(しらはえ)は初夏(梅雨明けごろ)の季語で、南から吹く明るく穏やかな風のことです。「白帆」との取り合わせで爽快で美しい句となっています。問題は中句の “広げる” で、これは他動詞であるために、主語が何であるかという不透明さが生じています。それが白南風であれ白帆であったとしても、それらが “海を広げる” というのは無理があることで、句調が強引になっています。ここは自動詞を選択して、滑らかな句にするところです。

参考例 白南風に海ひらけゆく白帆かな

原句 峡の里水より昏るる蛍の夜

本句は中句の “水より昏るる” という措辞が、水辺から、または水に映った空から、夕闇が濃くなっていくという時間と空間の広がりを表現していて、情景のみえる美しい句です。問題は下五の「夜」で、この語は「昏るる」と「蛍」から判ることであり不要です。また、”水より昏るる” は蛍ではなく “峡の里” に掛かるものですから、語順を変える必要があります。蛍を上五に入れて、○○○○○水より昏るる峡の里 という構文にするのですが、「蛍舞ふ」や「蛍飛ぶ」は平凡で、ひと工夫が求められます。”水より昏るる” の時刻を考えると、蛍は乱舞しているのではなく、一匹二匹と現れる状態ですから、その繊細さを詠むことで、句にユニークさが出てくるでしょう。

参考例1 蛍ひとつ水より昏るる峡の里

参考例2 蛍あり水より昏るる峡の里

怜さん

原句 どぜう鍋そそる暖簾の古き染み

本句は味覚・視覚・嗅覚が織り交ぜられ、東京下町が詠まれた風情ある佳句です。問題は”そそる” という動詞の位置で、原句は「どぜう鍋をそそる」と「暖簾の古き染みがそそる」の中間に置かれていて、不安定な位置になっています。ここはどぜう鍋に寄せて、骨組みをしっかりさせるのが良いでしょう。

参考例  そそるどぜう鍋や暖簾の古き染み

原句 合歓の花青き目の僧バスを待つ

本句は「僧」と「合歓の花」を取り合わせた句ですが、合歓の赤い花に僧の青い眼を配置したところにユニークさがあります。この対比を活かすために、句の途中を「や」で区切って、前後に取り合わせたものを置くようにするのが良いでしょう。

参考例 青き目のバス待つ僧や合歓の花

原句 廃線の駅に寄り添う百日紅

本句は、人が余りいない処に花が咲くという取り合わせに、寂寥と生命感のコントラストがあり、静かな余韻を生んでいます。無人駅と百日紅を繋いでいる “寄り添う” という表現も、単に近くに咲いているというだけでなく、共にある・慰める・見守るという意味が含まれています。直す必要のない佳句です。

蒼草さん

原句 一炊の夢でも良しと合歓の花

本句は、合歓の花が夕方に閉じることを、中国の邯鄲の夢の故事に結び付けて、人生がたとえ一炊の夢のように儚いものであってもそれで良いと、静かに咲いている合歓の花を引き合いにして肯定した句です。含蓄の深い、このままで佳句ですが、「でも良し」が口語になっていますので、格調を高めるために文語にすることも考えられます。

参考例 一炊の夢をも良しと合歓の花

原句 落暉炎ゆ詩人見つけし永遠の海

落暉とは、沈みかけの赤々とした夕陽のことで、時の終わりや生の終幕・情熱の残光など、多くの意味が重っています。永遠の海とは、永遠性をたたえた海と解されるものです。本句は「落暉」と「永遠」の対比で(終わりと永遠)が含意され、その時間の中で、詩人の存在=詩魂の不滅を見つけた、と詠んでいる句です。この句を詠んだ頃に作者は東北を旅行しているので、詩人は宮沢賢治か石川啄木かが想定されます。前句と同様に極めて文学性が高い句で、直しは要りません。

原句 夕さりのなほ陽を恋ふる百日紅

“夕さり” とは、夕方になること、夕暮れ時 の雅語です。本句は百日紅の持つ「夕陽に染まる」性質を詩的にとらえていて、”陽を恋ふる” という措辞は、百日紅に擬人性を与え、明日への憧憬や希望を表しています。本句も極めて完成度の高い作品で、直しは要りません。

游々子

どぜう鍋隅田の風に触れ太鼓

荒海や蝉鳴き続く能の島

東寺さえ白雨に消ゆる車窓かな