俳句的生活(336)-連句(18)-
連句は月3回のペースで順調に進んでいます。発句、脇、挙句を詠む順番は、4回に一度、自分の番が廻ってくるようにしています。季節が進むのが早く、連句はそれを追っていく感じがしています。
連句(18)『野点の席の巻』
令和7年 5/13(火)〜5/15(木)
連衆 典子 二宮 游々子 紀子
(発句) 新緑や野点の席の白茶碗 典子
(脇句) 影は短くまぶしきみ空 二宮
(第三句) 百獣の王に四つ子の生まれ来て 游々子
(第四句) 一人つ子政策は失敗 紀子
(第五句) 望の月円月島に沈みゆく 典子
(第六句) 歌聖は旅す玉藻の浦へ 游々子
(第七句) 空高く鰯の映る波高し 二宮
(第八句) 山河山村越え鳥渡る 紀子
(第九句) 校庭のフォークダンスで手に触れて 典子
(第十句) 戦火をくぐる千姫と供 游々子
(第十一句) 万博に世界国名少し知る 二宮
(第十二句) 両手広ぐる太陽の塔 典子
(第十三句) 蛍雪の夢を照らせり月天心 游々子
(第十四句) 星屑寒く呑む袋道 二宮
(第十五句) 失敗も試行錯誤し解決し 紀子
(第十六句) 連敗せぬと誓いも新た 游々子
(第十七句) 晴天に誘はれ江戸の花巡り 典子
(第十八句) 隅田川行く櫂音静か 二宮
(第十九句) 麗かやドイツへ渡る音楽家 紀子
(第二十句) テント担いだ別府巡りよ 游々子
(第二十一句) 手の中の世界一周ネットサーフィン 紀子
(第二十二句) 闇と光と地あり天あり 二宮
(第二十三句) 遠流の島蝉鳴き続く能舞台 游々子
(第二十四句) 飛魚翔る曇天の海 典子
(第二十五句) 進化して鳥とけものに恋心 二宮
(第二十六句) ジェラシーもなくただ愛しくて 紀子
(第二十七句) 謁見す女帝に一介の漂流者 游々子
(第二十八句) 望郷の念寝ても覚めても 典子
(第二十九句) 名月を過る機影のシルエット 紀子
(第三十句) 天に駆けるか淀菊花賞 二宮
(第三十一句) 秋淋し戦国の世の三姉妹 典子
(第三十二句)平和なること兄弟喧嘩 紀子
(第三十三句) 旗本の家でひとつの飯茶碗 游々子
(第三十四句) 俳句手帳の子規の横顔 典子
(第三十五句) 四国山植林杉に櫻ポツ 二宮
(挙句) 声弾み来る遠足の列 紀子
新緑の中の野点で発句が始まりました。下句の白茶碗で色彩の対比、光のきらめきが詠まれています。
脇は、太陽の位置が高くなり影が短くなったと、理学部的視点で詠んでいます。
第三句は、その日たまたまテレビでライオンに四つ子が産まれたとのニュースがあったので、そこに展開。
第四句は、四つ子から一人っ子へと、イメージはアフリカから中国へと移動。
第五句は、政治的な話は嫌だと、日本の美しい景色を朗詠しました。円月島とは和歌山県の白浜町の海岸沖の奇岩です。岩に穴が空いている島で、そこに満月が沈んでいく、というものです。
第六句は、最初は柿本人麻呂の「和歌の浦に潮満ちくれば」を本歌取りしたのを付けようかと思ったのですが、それだと距離的にも近すぎるので、讃岐で詠んだ歌に外してみました。
第七句は瀬戸の海を詠んだもの。
第八句は海から陸地へと情景の移動。
第九句は恋の座で、高校の文化祭でのフォークダンスを詠んでいます。
第十句は、大阪夏の陣で、千姫はおそらく供のものに手を取られて大阪城を脱出したであろうと詠んだもの。
第十一句は、戦火よりウクライナを連想し、世界へと歌を拡げています。
第十二句は、万博より、1970年の大阪万博のシンボルであった太陽の塔を詠んでいます。この年に私は大学を卒業したのですが、作者はまだ小学生であったはず。
第十三句は冬の月を詠む箇所で、第九句に合わせて受験勉強していた頃を懐旧して詠んでみました。
第十四句は、酒を呑んで家に帰るときの夜空を詠んだもの(?)
このように連句は、付き過ぎず離れ過ぎずに、前へ前へと進んでいきます。俳句の句会だと投句してから評価が分かるのに時間が掛かるものですが、連句では次々と付かず離れずの句が現れてくるので、連句が進んでいる間は、点数を気にするでなく、頭脳が心地よく刺激され、文芸を楽しんでいる気分に浸れます。