俳句的生活(332)-茅ヶ崎八景最後の一枚
本ブログの初期の頃、茅ケ崎八景について数回のブログを書いていますが、そこでは茅ケ崎館が発行した絵葉書の八枚の内の一枚が見つかってなく、「○○の夜雨」となっていました。それが今年の2月に、市内中島在住の郷土史研究家によって発見されたとタウンニュースに載り、ちょっとした話題となっていました。

長年、○○に該当するところは何処だろうと詮索されてきましたが、漸くそれが「真崎」であることに決着がつきました。
ところが次に問題となったのが、真崎とは何処か、ということでした。現在、茅ケ崎に真崎という地名がないからです。これについては、郷土史家で俳人の鶴田栄太郎氏が、昭和38年に、釜成屋総本店で製造販売された「八景せんべい」の由来を記した「八景せんべい之由来」の中で、真崎の夜雨について次のように書いています。 ”一中の東方ゴルフ場の下あたりを今でも漁夫は真崎といっているそうな。現在はゴルフの球のひびきが聞かれるばかりである” と。このゴルフ場は今でもあり、ラチエン通りの東側になっています。現在の地名で云うと白浜町。この辺りの海に近いところが真崎と呼ばれていたのでしょう
茅ヶ崎八景については発行の古い順に、「釜成屋版」、「林屋版」、「茅ケ崎館版」の三種類があります。このうち夜雨については、釜成屋版と茅ケ崎館版が「真崎の夜雨」で、林屋版が「一里塚の夜雨」となっていて、今回見つかった茅ケ崎館版の夜雨が釜成屋版の夜雨と同じであったために、鶴田栄太郎の一筆によって真崎は白浜町であろうということが判ったのですが、これが真崎ではなく別の地名で、現在の茅ケ崎にない地名であったとしたら、謎はまだまだ続いていたことになっていました。