山小舎だより(23)-令和6年7月15日 古代の鉄ー

今年の4月から6月にかけて、NHKのEテレで、『3か月でマスターする世界史』という番組が放映されました。従来のヨーロッパからみた世界史ではなく、ユーラシア大陸全体を俯瞰した視点となっており、近年まれにみる面白い番組でした。例えば、ローマ帝国が衰退した原因として、シルクロードを経由しての交易で税収の4割にもなる収益をあげていたのが、気候の寒冷化で「後漢」を始めとしたシルクロードの通過する帝国が乱れ、交易収入が途絶えたと指摘するようなこと、更に「後漢」の乱れは日本にも影響を与え、いわゆる ”倭国大乱” の引き金になった、というような話です。

前回のブログで、諏訪神社に残されている鉄鐸(てつたく)というものを紹介しましたが、そもそも古代の鉄とはどのようなものであったのか、それが今に伝わる古代史とどのように関係しているのか、本稿はそれらに関しての私の仮説を述べるものです。(古代の鉄については、真弓常忠著『古代の鉄と神々』に依る)

古代の鉄と神々

真弓氏は大正12年生まれの人で、大阪の住吉大社の祢宜を経て、皇学館大学の教授を務めた方です。彼は古代史に対して、考古学・文献学とは別に祭祀学から迫ろうとしています。この本のエッセンスを要約すると次のようになります。

* 古代における諏訪地方の鉄は、蘆や茅の根本に付着した褐鉄鉱より得たものである。それは諏訪地方の先住民である洩矢族によって弥生時代に既に行われていた。鉄鐸はそのようにして得られた鉄から作られた祭祀用の鉄器である。

鉄鐸
神長官家に伝わる鉄鐸

* 諏訪に侵入してきたタケミナカタの出雲族は、砂鉄からタタラ製法で作った鉄器を持っていて、鉄の武器の差で洩矢族は出雲族との戦いに敗北した。

* 一方、出雲を征服した大和王権は、韓半島から輸入した製鉄済みの鉄素材による武器を持っていて、それが出雲族の武器を上回っていたことで出雲侵略を可能とした。

以上の真弓氏の知見を、私の仮説に繋ぎ合わすと次にようなストーリーとなります。

1.大和王権を作り上げた天皇家は、もともとは北九州の一部族であったが、「後漢」を後ろ盾としていた伊都国が、後漢の衰退とともにその覇権を失い、倭国大乱の状態になった時、九州より畿内に移動した。記紀で神武東征と記されていることで、2世紀前半の出来事である。

2.天皇家は邪馬台国を構成する連合国家の一つとなり、卑弥呼・台与の死後、邪馬台国を継承(簒奪?)し、初代の大王(おおきみ)が誕生する。記紀で10代とされている崇神天皇がその人で、3世紀末から4世紀初頭の出来事である。

3.大和王権は優れた鉄製武具によって各地の豪族を従え、その覇権を拡げていく。出雲征服はその内の一つで、4世紀の出来事である。

4.大和王権に異を唱えた出雲族の一部(タケミナカタ)は諏訪に逃げ、洩矢族に代わって諏訪地方の明神となる。4世紀の出来事である。

洩矢族はこの地方の縄文人の弥生時代における末裔で、更にその末裔が諏訪大社での神官のトップを務めた神長官の守矢氏であると謂われています。洩矢氏の鉄器が鉄鐸という祭祀用のものしか残っていないのは、洩矢氏は黒曜石の生産を支配していて、永らくその恩恵に浴していた為でないかと推測しています。

諏訪大社の歴史は今大きな波に攫われようとしています。明治5年に、それまで世襲で引き継がれてきた諏訪大社の神職は全て解任され、その結果、平成14年9月にはタケミナカタの末裔とされる諏方大祝家が断絶し、神長官の守矢家も現当主は女性で、この先どうなるのか心配なところです。守矢家が断絶することがないよう、歴史を繋いでいってほしいものです。

神長官守矢家に伝わる鉄鐸を持つ第78代当主(現当主)の守矢早苗さん(『信州の鉄と人』信濃毎日新聞社より)