俳句的生活(10)-茅ヶ崎の一里塚ー

茅ヶ崎駅北口の1国を少しだけ東に寄った処に、江戸から14番目となる一里塚があります。一里塚は大御所となった家康が、子の秀忠将軍に命じて、五街道に設置させたものです。多くの一里塚は道幅を拡張する際に除去されてしまっているのですが、茅ヶ崎の一里塚は、元々あったところに現在もあるという希少価値の高いものです。除去されている例を挙げると馬入の一里塚がそれで、塚というものは現在は無く、近くに説明板が立てられているだけとなっています。そういう意味で、茅ヶ崎の一里塚は貴重な史跡ですが、残念なことに元々は東海道の南と北側に二つあったのが、北側のものは、平成22年の歩道整備の工事の際に盛り上がっていた塚は削られて、道路と同じ高さの平坦地にされてしまっているのです。そして休憩できる円形の椅子が樹木を囲って設置されています。もし南側のものと対をなすように整備されていたとすれば、道の両側にある一里塚は唯一茅ヶ崎だけのものとなり、その価値は今とは比べ物にならない程に高くなっていたでしょう。この一里塚は、江戸を回想させるシンボリックなもので、大岡祭の俳句大会などでは、必ずと言ってよいほど、何人かの方が素材にする人気スポットになっています。

大津絵の鬼も春なり一里塚 游々子

茅ヶ崎の一里塚

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一里塚の説明板
平成の一里塚