俳句的生活(131)-魚市場ー

3年ほど前まで、南湖に丸大という魚市場がありました。鉄砲道から六道の辻に向かって直ぐの所で、現在Createになっている処です。

丸大魚市場が作られたのは、関東大震災の後でした。それまでの漁法は地引網が中心で、浜で水揚げされた魚は、ボテイ屋と呼ばれる行商人と、仕上師という加工人に渡されていたのですが、関東大震災で浜が隆起すると、地引網漁法での収穫が減り、船中心の漁法に変化していきました。魚市場は、茅ヶ崎漁港の整備と合わせて作られていったものです。

3年前に閉鎖となった施設は、昭和35年に、鈴木孫七家の隣りの墓域に作られたものでした。墓石は別の場所に移設され、その跡に供養の意をこめて、ご当主の孫文氏が、石碑を建立しました。それは、

(表)御祖まつるあとはなけれども
魚せる場所が栄えて霊を弔ふ  孫文

(裏)昭和三十五年七月五日
魚市場落成式建之

というものです。今は残念ながら、Createの周辺は、駐車場と駐輪場だけになっていて、石碑はおそらく、鈴木家によって引き取られたものと推測しています。

丸大魚市場が閉鎖になったのは、スーパーの進出によって、顧客である鮮魚店が激減したことによります。出入りの鮮魚店はピークであった昭和50年代には65軒あったのが、直近では5軒にまで減ってしまったとのことです。

(株)茅ヶ崎丸大魚市場は閉鎖されましたが、平塚の須賀漁港(添付1)にある(株)平塚魚市場と合併して、(株)平塚茅ヶ崎魚市場(添付2地図参照)として再スタートすることになりました。新しい局面で、独自性を発揮して、成功して欲しいものです。

水鳥のまとふは漁火の明かり

添付1
添付2