俳句的生活(128)-芭蕉に恋した英国人ー

先日の茅ヶ崎市文化祭俳句大会で、北マケドニアの元駐日大使の創られた英語での俳句を見る機会があって英語句に関心が湧き起こり、芭蕉の句が英訳されている本を手にしてみました。タイトルは「ほんとうの日本」というもので、サブタイトルとして、”芭蕉に恋した英国人の言葉”というのが付いています。著者のR.H.ブライスという人は、日本文化紹介の先駆け的な人で、戦争中は敵国人ということで、日本が敗戦するまで、捕虜収容所に収監されていました。

俳句の微妙なところが、英語ではどうなっているかということに関心があったのですが、一例ですが、

この秋は何で年よる雲に鳥

という句は、

This autumn,- Old age I feel, In the birds, the clouds.

となっています。前置詞のInが使われている第3フレーズを日本語に直訳すると、”鳥に雲に” となって、俳句としては、説明的であるという謗りを受けてしまうでしょう。取り合わせの句では、英語の前置詞に相当する助詞は使わない、これが俳句的表現の鉄則です。

ブライスの西洋人らしいところは、芭蕉の句を数パターンに分類するという分析的な見方をしていることです。それらは、

叙事詩風   吹き飛ばす石は浅間の野分かな
中国風    夜着は重し呉天に雪を見るあらん
静物画風   塩鯛の歯茎も寒し魚の棚
独創的    野を横に馬引きむけよ郭公(ほととぎす)
ユーモア調  麦飯にやつるる恋か猫の妻
視覚的    しぐるるや田のあら株の黒むほど
優美さ    粽結ぶ片手にはさむ額髪

というものです。作句するときの視座をどうするか、というとき、参考になりそうな分析です。

昭和31年に書かれた評論に、「戦後十一年目の日本に望む、俳句の精神こそ」というのがあります。この中でブライスは、蕪村の、

月天心貧しき町を通りけり

を引用して、これからの日本が、量よりも質を大切にして、自然への愛と理解を保ち、成金的にならないでほしい、何よりも俳句を捨てないでほしい、と述べています。日本はその後、衣食足りて礼節を知る ということで、高度経済成長を謳歌しましたが、人口が減少していく時代を迎え、もう一度ブライスの言葉に耳を傾ける価値がありそうです。

凩になにやら寒し碧眼僧 (しおさい会での添削例

ほんとうの日本