鬼を狩る子孫 第十話 大山詣り(9)

線が重なる――街道と山の同一点

雨降り神社下社の境内は、
しんと静まり返っていた。

 落書きの前から一歩下がり、
悠夜は周囲を見回す。

 参拝客はいる。
だが、この場所には、
長く足を止める理由がない。

 それなのに――
落書きは、ここにある。

「おかしいな」

 悠夜が、ぽつりと言った。

「隠すなら、
 もっと奥でもよかったはずだ」

「せやな」

 嵐山が頷く。

「目立たせたいわけやない。
 せやけど、
 見つかる可能性は残したい」

 真衣が首をかしげる。

「……矛盾してませんか?」

「せえへん」

 嵐山は即答した。

「 “通る人” にだけ、
 見えたらええ」

 悠夜の頭の中で、
これまでの光景が次々に浮かんだ。

 街道の脇。
 人目につきにくい壁。
 けれど、
 必ず誰かが通る場所。

「街道と……
 同じですね」

 蓮が言う。

「せや」

 嵐山は、境内の石畳を指した。

創作小説の挿絵

「大山詣りはな、
 街と山を分けとらん」

 江戸時代。
 藤沢宿を発ち、
 伊勢原の麓を経て、
 御師の宿に泊まり、
 下社を経由して山へ登る。

「人の流れは、
 一本の線や」

 嵐山の声は、
いつになく低い。

「落書きは、
 その線の上にしか出てこん」

 悠夜は、
落書きと参道を見比べた。

 助けを求める文字。
 蛇の形。

「……蛇って」

 真衣が言いかけて、
言葉を止めた。

「どうした」

「街道でも、
 蛇でしたよね」

 悠夜は頷く。

「水路のそばに、
 描かれてた」

 嵐山は、
小さく息を吐いた。

「山の神はな、
 水の神でもある」

 雨を呼び、
 水を司り、
 人の暮らしを左右する。

「蛇は、
 その象徴や」

 蓮が、
不意に言った。

「じゃあ……
 助けを求めてる相手って」

 嵐山は、
すぐには答えなかった。

「神様、
 とは限らん」

 しばらくして、
そう言う。

「けど、
 “山の側” に向けて
 出された印なのは確かや」

 悠夜は、
胸の奥がざわつくのを感じた。

 助けを求める声。
 それを、
 山へ向かう人にだけ託すやり方。

「……誰かが」

 悠夜は言った。

「山に行けば、
 何かが変わると思った」

 嵐山は、
ゆっくり頷いた。

「せやろな」

 落書きは、
答えではない。

 だが、
進む方向だけは、
はっきり示している。

「今日は、
 ここまでや」

 嵐山が言う。

「次は?」

 蓮が尋ねる。

「街道を、
 もう一度や」

 嵐山は、
境内の外――
山を下る道を見た。

「今度は、
 “山を知った目” でな」

 悠夜は、
最後にもう一度、
落書きを振り返った。

 それは、
無言のまま、
同じ形を保っている。

 だがもう、
ただの落書きには見えなかった。

 街と山を結ぶ線の上に、
確かに置かれた――
一つの印。

 調査は、
次の段階へ進もうとしていた。