鬼を狩る子孫 第五話 いじめ(8)
届いた声
放課後の教室に、西日が斜めに差し込んでいた。
黒板には午前中の板書の跡がうっすら残り、
チョークの粉が光を受けてきらめいている。
真衣は自分の席に座ったまま、机の上のノートを見つめていた。
表紙には、鉛筆で薄く書かれた言葉がある。
『だれも見ていない』
教室の扉が開き、悠夜と蓮が入ってきた。
「真衣」
呼びかける声に、彼女は顔を上げなかった。
「……もう、いいの」
その声は、風に紛れるほど小さかった。
悠夜はそっと近づいた。
「いいって、何が?」
「全部。言ったって、どうせ信じてもらえない。
先生も、クラスのみんなも。
誰かが悪者になるの、もう見たくないの。」
蓮がためらいがちに言った。
「でも、真衣は何も悪くないよ」
真衣は小さく笑った。
「そう言ってくれるの、あんたたちだけ。」
そのとき、廊下から笑い声が響いた。
遠くの誰かの声。
その音が、真衣の表情をかすかに曇らせた。
悠夜は拳を握った。
「……それじゃ、また “あいつ” の思うつぼだ」
「 “あいつ” って、鬼のこと?」蓮が聞いた。
悠夜はうなずいた。
「 “届かなかった声” って、こういうことなんだと思う。
本当のことを言おうとしても、
怖くて、言葉が外に出せなくなる。
そうやって、鬼は人の中に居座るんだ。」
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蓮が眉をひそめた。
「……声が届かないと、鬼は強くなるの?」
「うん。
鬼は、沈黙を食って生きる。
だから、倒すってことは――
声を取り戻すことなんだ。」
真衣が顔を上げた。
「でも……どうすればいいの?
もう、何も言いたくない」
悠夜はゆっくり答えた。
「言いたくないなら、言わなくていい。
でも、“聴いてもらえる” って思うことは、
それだけで声になる。」
蓮がうなずく。
「……真衣の話、聴きたい」
真衣は少しだけ驚いた顔をした。
「私の……話を?」
「うん。何も言わなくてもいいけど、
もう一人で黙ることはないから。」
沈黙が、少しだけ柔らかくなった。
真衣の唇がわずかに震えた。
「……誰かが聴いてくれるなら、
少しだけ話してみたい。」
悠夜は微笑んだ。
「それでいい。鬼は、もう黙るさ。」
窓の外の光が、床の上に帯のように伸びている。
真衣の髪がその光に照らされて、ゆらりと揺れた。
「ありがとう」
その言葉は涙ではなく、
長い沈黙の向こうから届いた声のようだった。
悠夜は外を見た。
夕陽に照らされた校庭に、銀杏の影が長く伸びている。
その影の端に、一瞬だけ人の形のようなものが見えた気がした――。
だが、次の瞬間、それは光の中に溶けた。

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