鬼を狩る子孫 第五話 いじめ(7)

翌日の午後。

校舎裏の銀杏の葉が、秋風にさやさやと鳴っていた。その木陰で、神原は一人しゃがみ込んでいた。足元には、乾いた落ち葉がいくつも潰れている。

「おまえ、目ぇ、よう泳いどるな」

声をかけたのは嵐山だった。

古びたスーツのポケットに手を突っ込み、いつもの飄々とした笑みを浮かべている。

「先生……」

神原は顔を上げることができなかった。嵐山は隣に腰を下ろした。

「ほう、ここはええ風が通るわ。……で、夜は眠れたか?」
「……あんまり」
「やろなあ。罪悪感てのは、枕より重たい」

神原は顔をしかめた。

「俺、悪いことなんてしてません」
「そう言い切れるんなら、ええことや」

嵐山はポケットからハンカチを取り出して、靴についた落ち葉を払った。その仕草が妙にのんびりしていて、神原は少しだけ息をついた。

「……先生、みんなも笑ってたんです。俺だけじゃない」
「そうか。みんなが笑ってたら、ええんか?」
「……だって、俺が笑わなかったら、次は俺が笑われたかもしれない」

嵐山は頷いた。

「なるほどな。生きるための笑いや」
「そうです。俺は……自分を守っただけです」
「守る、か」

嵐山は空を見上げ、ぽつりと呟いた。

「そら立派や。人間、自分を守るのは本能やからな。けどな――“守る”ちゅう言葉には、もう一つ裏があるんや。
「裏……?」
「守るいうんは、“閉じる” いうことでもある。心の窓を閉めてしもうたら、風が入らん。せやから、腐るんや。」

神原は黙り込んだ。

「神原、おまえ、鏡見たことあるやろ」
「ありますけど……」
「けど、人の目には “自分がどう見えてるか” が映るんや。鏡を見んと、人の目ぇを見てみい。そこに、おまえがどう生きとるかが映っとる。」

神原は眉をひそめた。

「……人の目の中に、自分が見えるってことですか?」
「そうや。鏡は形を映すけど、人の目はを映す。ほんまに見てほしいもんは、鏡やのうて “誰かの瞳” の中にあるんや。」

沈黙が落ちた。

創作小説の挿絵

銀杏の葉が二人の間を滑り落ちる。

「先生……俺、どうしたらいいんですか」
「簡単や。目ぇを合わせるんや」
「誰と?」
「おまえが “傷つけた” と思う子とな」

神原の喉が詰まった。

「……あの子は、もう俺のことなんか……」
「それでもええ。謝るためやのうて、“目ぇを通す” ためや。沈黙の壁はな、声よりも先に、視線で壊せる。」

嵐山は立ち上がった。

「昔うちのかみさんが言うとったわ。“あんた、私の顔は見ても、心は見てへん” てな。……まあ、そのあと一週間、晩飯抜きやったけどな」

神原が思わず吹き出した。嵐山も笑いながら肩をすくめた。

「笑え。ええか、神原。ほんまの笑いはな、人の目ぇを見ながら出るもんや。それはもう、鬼でも消せへん。」

風が一段強く吹いた。銀杏の葉が空に舞い、陽に透けて黄金色に光った。

そのとき、神原の胸の奥で、昨夜の声がかすかに揺らいだ。

――“おまえは悪くない”

その声が、遠くの方へ溶けていくのを、神原は感じた。