鬼を狩る子孫 第二話 影を落とす契約書(3)

(3)
田野倉の部屋は、ひどく静かだった。
机の上には書類と万年筆が乱雑に置かれ、灰皿には吸い殻が幾つも積み重なっている。
蛍光灯の明かりがじわりと滲み、まるで空気そのものが濁っているかのようだった。

その濁った空気の中で、声がした。
低く、粘りつくような声。
――「その欲望がゆえに、私はお前に支払いを迫るのだ」

田野倉はぎくりと肩を震わせた。
振り返っても誰の姿もない。
だが、部屋の隅には黒い影が揺らめき、まるで意思をもって膨らんでいくように見えた。

「やめろ……やめてくれ……」
声は掠れて、か細かった。
彼は机に両手を突き、震える指先で契約書を押さえ込む。
だがその紙面はじわじわと黒く滲み、書かれた文字が読めないほどに崩れていった。

創作小説の挿絵

鬼の声は止まらない。
「差し出せ……欲望の果てに、おまえの心を……」
「おまえが望んだ金も、地位も、すべては虚しい。
 残るのは、負債……その支払いだけよ」

田野倉は息を荒げ、額から汗を垂らした。
視界が揺れ、書斎の壁に掛けられた家族写真がにじんで見えた。
妻と娘が笑っている写真だった。
その笑顔が突然、黒い墨で塗りつぶされるように変わり果てていく。

「やめろぉぉぉ……!」
彼は叫んだ。だが声は壁に吸い込まれるようにかき消され、返ってくるのは鬼の嘲笑だった。

影はますます膨れ上がり、書斎全体を覆おうとしていた。
机の上の契約書は完全に真っ黒に染まり、まるで生き物のように蠢いている。
田野倉の心臓は早鐘のように打ち、胸を突き破って逃げ出したいほどだった。

――その時。

遠く離れた悠夜の枕元で、淡い光がふっと灯った。
勾玉だ。
いつも身近に置いて眠るそれが、かすかな脈動を刻むように震えていた。

最初はほんのわずかな光。
しかし次第にその光は強さを増し、部屋の闇を押し返すようにきらめいていった。

悠夜は浅い眠りの中で眉をひそめた。
「……なにかが……起きてる……」
夢と現のあわいで、彼は無意識に勾玉へと手を伸ばした。

脈打つ勾玉は、警鐘のように悠夜の胸を打ち続けていた。
まるで「まだ見ぬ戦いの幕が上がった」と告げるかのように――。