俳句的生活(29)-勝海舟夫人民子ー

50年近い南湖院の歴史の中、療養患者として最も異彩を放つのは、明治32年に開設されたばかりの南湖院に入院療養された勝海舟未亡人の民子さんです。海舟が亡くなられた直後の入院となっています。

民子さんについては、先般、NHKで放映された沢口靖子主演の「小吉の女房」というドラマで、大西礼芳演じるお民という深川の芸者として登場します。お民さんに若き麟太郎が恋をして、勝家が借地していた岡野という旗本の養女になってもらい、それで縁組した、ということになっています。どうやらそれは史実のようです。

それではどうして民子さんが南湖院で療養を受けたのかということですが、それは畊安が海舟と民子さんの孫娘と結婚していた縁によります。畊安は二十歳過ぎの頃、兄を肺結核で亡くし、自身も脚気で苦しむのですが、その時期にキリスト教に傾倒するようになります。一方、海舟の次女で疋田家に嫁いだ孝子も熱心なクリスチャンで、教会で知りあった孝子の娘の輝子と畊安が結婚することによって、畊安と勝家のつながりが生まれることになりました。畊安は海舟の担当医にもなりました。

明治10年前後の勝家のことは、海舟が長崎の海軍伝習所に居た時に、妾に産ませた梅太郎という3男の嫁になったクララというアメリカ人女性が残した「勝海舟の嫁クララの明治日記」という本で窺い知ることができます。明治9年2月9日に、クララが初めて赤坂氷川町の勝邸を訪れ、民子と会ったときのことを、「勝夫人(たみ)は感じのよい老婦人で、眉毛を剃り、歯を黒く染めていらっしゃった。」と書いています。

海舟は、出世していくとともに、多くの妾を作るようになるのですが、民子さんはそうした女性や子供たちを勝邸に住まわせて、面倒を見ていきます。南湖院での治療の甲斐あって、東京に戻ることが出来たのですが、明治38年に84歳で亡くなる時には、海舟とは墓を同じにしないでほしい、と遺言したそうです。

甲斐性は無くとも自適梅雨に入る

勝海舟夫人
「勝海舟の嫁クララの明治日記」より