京大俳句会(5)-第168回(2023年2月)

今月の兼題は「春夕焼、春の夕焼」です。

春の夕焼け

「京大俳句会自由船」のオフィシャル・サイトはこちらです。

京大俳句会自由船のサイトは、作品を鑑賞した人が自由に思ったこと・感じたことをコメントとしてインプットできるようになっています。本稿はそうしたコメントを句毎に貼り付けて読み易くしたものです。


今話題になっている対話型AI「チャットGPT」に作品の鑑賞をお願いした。「次の俳句を鑑賞してください」と打ち込んで、クリックするとすぐに返答が返ってくる。問答を次々、続けていけるので、話題がどんどん展開できるのである。以下の3句を選んで、このAIの俳句理解(鑑賞)能を確かめてみた(3人の作者の方、勝手にすいません)。結果、百点満点で60点ですれすれ合格と判定した。しかし、予想以上に立派なものである。意味不明なことも述べるが、人間でもわけのわからない事を言う人は沢山いるので、今のところはご愛敬としておきたい。つっ込みを入れると、恐れ入った様子で、おべんちゃらを言ったりするのもおかしい。チャットGTPは公開されて3か月しか経っていないが、爆速で進化すると言うから、おそらく1年後ぐらいはその辺の結社の「宗匠」を超える知識と鑑賞力を備えているだろう。「ほんまかいな」と思われる方は、試されてみてはいかがかと思う。
(楽蜂)


1  いつの間に攻撃能力亀の鳴く          吟

チャットGPT:『この俳句は、非常にユニークで、珍しいものです。亀は一般的には、のんびりとした動きで知られていますが、この俳句では、攻撃的な能力を持った亀が鳴く様子が描かれています。この俳句には、静かな自然界に潜む様々な生き物たちの驚くべき能力や、その独特な個性を表現する意図があるように思われます。この一句は、私たちがあまりにも単純化してしまいがちな自然界の複雑さを思い起こさせ、私たちの日常生活にある小さなことにも価値があることを教えてくれます』

 樂蜂さん。共に「チャットGPT]さんどうもありがとうございました。達者な読み方をしてくれるのですね。このロボットはおっしゃる通り、何十年か先には芭蕉、蕪村子規虚子をしのぐ俳句の権威者となるのかも・・。今のところ、頭の体操的だが私にも楽しめる。(吟 自句自解)

2  鶯も同じ想いか早春賦             幸男

「春は名のみの 風の寒さや/谷の鶯 歌は思えど/時にあらずと 声も立てず/(繰り返し)」と、人間の方が先に鶯に託した思いなのだけれど、春寒の今どき、私もこの歌を口ずさみたくなる。(吟)

3  梅にほふ吾にも左遷の昔あり          つよし

この感じ。ふと強い梅の香りがしたとき、よっみがえった転勤の内定、実は左遷であった。サラリーマン稼業の厳しさをかみしめている帰り道にもこの句のように「梅にほふ」季節だった。この詩的な喚起力で成立している一句。
或いは,この句も思い出と現在の感覚の重層化に成功している。「吾にも」とあるから、そういう扱いを受けた後輩の噂とかあるいはその当事者の愚痴を聞きながらあるいているのだろうか?こいつもきっと正義感に駆られて上司に疎まれたのだろうか、とⅮ臂上の気分。そのとき、昔の自分を思い出させる梅のにおい。落ち込みと同時に気分を立ち直らせるその香り。「勇気こそ地の塩慣れや梅真白・中村草田男」の句もあります。若い時の苦労は買うてでもするべき、気づかないで人の助けになるだろうし、現在の強い自分を育ててくれる。頑張ろう。(吟)

4  大いなる放屁や赤子春うらら          まめ


5  菓子パンをすばやく齧る春夕焼         まめ

夕食にはまだ早い時間帯、或いはこれから自分で作らなきゃあ、という状況。我慢していたが小腹の空いたこんなときには多少エネルギーやカロリー補給。一口「すばやく齧る」所、おやつポイ「菓子パン」が、ともに可愛い。(吟)

6  カトレアに抱かれ少年となりしころ       武史

チャットGPT:『この句を直訳すると「カトレアに抱かれたとき、私は少年でした」という意味になります。カトレアとは、洋ランの一種であり、美しい花を咲かせることで知られています。この俳句は、カトレアに抱かれた少年時代の記憶を思い出すという、懐かしさと美しさを感じさせる句です。俳句とは季語を使うことが一般的ですが、この句には季語は含まれていません。しかし、カトレアは一般的に春に花を咲かせるため、季節的には春を連想させることができます。この句からは、少年時代に戻り、美しい思い出を抱えることの大切さや、自然や花に触れることが人生を豊かにすることを感じさせます』


7  師の眼差しありて父と子融け緩む        幸夫

8  霜の朝ひとりバス待つ白い杖          のんき

「白い杖」は目の見えない人が使っている代表的なツール。その人がひと立っている朝のバス停風景。「霜」の白い感じと、盲目の白杖(見えないことの象徴)、共に「白」その取り合わせが悲しいし、むしろ見えない風景の中のその人の姿が凛としていてハリがある。(吟)

9  侵攻の果てちらすかす核の影          嵐麿


10  祖母の雛滿洲國の番地あり           游々子

チャットGPT:『この句は、春の季語である「雛」を含んでおり、季節感を表現しています。また、「滿洲國」という言葉は、かつて存在した日本の植民地である満州国を指しており、この句が書かれた時代背景が伺えます。この句は、祖母が所有していた「雛」が満州国の地であるということを表現しています。このような風景や物事を通して、日本の歴史や文化を感じ取ることができます。また、祖母という身近な人物が登場することで、親近感を感じることができます。この句は、短いながらも季節感や歴史的な背景を表現し、読者の心に鮮烈な印象を与える素晴らしい俳句です』

ああ、いい句だ、と思いました。それに尽きる。「満州」は日本にとって特別なまぼろしの国家だ。しかし、番地もあり「お雛様」もアドレスも確かにある。歴史が間違っていても個人の中の思い出は美しく再現される。回想句でもあり、また現実のユーラシアの有様にも戻る。(吟)

(評)祖母の雛人形を入れた箱だ。満州国の番地が記されていた。この人形は祖母と一緒に引き揚げてきたのだ。命に及ぶ危険な引き揚げの中でも雛人形だけは手放さなかった祖母。この雛人形を通して気丈な祖母を偲んでいる。 (辻桃子)

11  地図になき広き農道春夕焼           游々子


12  堤(どて)に立ち春の夕焼け何想う        恒雄


13  春夕焼け子らの家路は遠くなり         幸男


14  春夕焼おてて繋いで帰りたし          つよし

15  春夕焼けきみは糖度17恥じらいみせて      武史

「糖度17」と言ったら、熟れきったメロンやマンゴーの甘さ、市場価格も高値。それをおもわせる女性(だろう)の年齢や姿態。「春夕焼け」のこういう活かし方もある。それほどわからない者にも武史さんの「願望」が快く理解できる。しかしながら「恥じらい」までで言うべきか?「春夕焼」の感覚はどこか恋句につながるとしても。(吟)

16  比叡山赤く恥じらふ春夕焼            楽蜂

こちらの「恥じらう」と読み比べて、武史さんも樂蜂さんも季語をひとひねりして肉身の世界に結び付けているところがジェンダーフリー以前の「男性」詩人の詩とエロスの感性というべきだろう。まともに読めば、比叡山が夕焼けを受けて山肌を染め「恥じらって」いる、という事だが、「夕焼」の方が雄々しい山に出会って一体化して夕焼けの方が「恥じらって」いる、とも読める。この二句は「チャットGPT]クンならどう謡むだろう。(吟) 

17  蕗の薹雪解け早き根本かな            楽蜂


18  分裂の世をやわらげよ春夕焼           嵐麿


「春夕焼」にはそんな柔らかな包容力がありそうだ、間もなくその期待も消えて昏い夜が来る。題があたえた大きな優しい風格を活かしている。一方で時事性の狙いのよくわかる、穏やかに時勢を抽象化してこの句には好感を持った。(吟)

19  「まるぶつ」で初めて知ったオムライス      恒雄


「まるぶつ」は京都の百貨店の名前、今はもうない、が、オムライスを食べるたびに一緒に思い出す、という句。よほど美味しかったのだろう。味覚の記憶はその場所の記憶に融け合う。たしかに、記憶装置も人工頭脳の原点なのだろう。(吟)

20  弥陀三尊ほかに影なし春夕焼           幸夫

尊い弥陀三尊のおすがたが西の浄土「夕焼け」の中に浮かんでいる。「ほかに影なし」というのが少しわかりにくいがここがシュール。イメージの仏を溶け込ませた春の夕焼けの美しさが迫ってくる。(吟)

21  山なかに大ニュータウン春夕焼          吟

 山中ではあってもここに入り込むと別天地のように画一的な屋根が並ぶ。いまやよくある住宅地帯。春の夕焼けに包まれていた幻想的なトワイライトタイムが過ぎ、山のむこうに夕陽が消えてゆきました。何でもあるけどどこかむなしい即製の山の中の都市生活。そんな風景を読みたかった。(吟 自句自解)

22  落日や春の夕焼け桃の花             のんき