俳句上達のヒント(3)-説明的な句ー
俳人の長谷川櫂さんが書いた本に、「俳句的生活」という名著があります。本の冒頭には、吉川英治の宮本武蔵が、柳生の里に石舟斎を訪ね、石舟斎が芍薬の一枝を切った、その茎の見事な切り口を見て、ただならぬものを感じた、ということが書かれています。そして、俳句においても、一瞬の切り口の鋭さこそが命である、と続けています。
この章で櫂さんが、切り口の鋭い句として例示したのは、飯田龍太の、
白梅のあと紅梅の深空あり
という句です。下五の、”深空あり” がこの句の命となっています。もし下五が、”空を蔽ふ” として、
白梅のあと紅梅の空を蔽ふ
であったなら、この句は、”説明的” であるとの批判を受けることになります。空を蔽って、それで何なの、という謗りを受けるのです。
しおさい会でも、数多くの説明的な句が、散見されます。自分自身もそうでしたが、俳句の作り始めの時には、どうしても説明的な句になってしまいます。3句ほど例示します。
芽吹く木々天に真直ぐうすみどり
師の授業楽しき声に風薫る
新しき傘買いそびれ梅雨に入る
最初の句は、”真直ぐうすみどり” が芽吹いた木々の説明になっています。二番目の句は、”楽しき” が、説明用語で、俳句では、”嬉しい” や “悲しい” ”綺麗” と同様、こうした形容言葉は避けて、別の表現で、それを表すのが鉄則です。3番目の句は、全体が説明文となっています。
私がそれぞれに示した参考例は、
芽吹く木々堂々天を担ぎをり
張りのある響く師の声風薫る
新しき傘無き今日の入梅(ついり)かな
というものでした。
”説明的” という指摘は、アマチャ名人クラスの人の句でも受けることは、プレバトを斬る(1)で紹介した梅沢さんの句の中七、”かすかにのぞく” が夏井さんからは説明的であるとされ、ボツとなったことでも、明らかです。それだけ、俳句は奥が深いものである、と言えるのでしょう。