俳句的生活(182)-麦秋ー

最近、偶然にですが、ユーチューブで小津安二郎監督の「麦秋」を、カラーで視聴しました。この映画は昭和26年作成で、著作権が70年過ぎて切れているものですから、Remaster Cinema(リマスターシネマ)というところが、自動的にカラー化して、ユーチューブに公開しているもののようです。Googleでは検索できないのですが、ユーチューブを ”麦秋” で検索するとヒットします。昭和26年の、遠くに烏帽子岩が見える茅ヶ崎海岸を、カラーで見れますので、興味のある方はご覧になってください。

この映画のエンディングでは、明日香の大和三山の麓に広がる麦畑が映しだされます。昭和30年代前半までは、多くの田圃では二毛作が行われていました。今では麦畑を見ることは、あまり出来なくなっているのですが、私の畑仲間の人で、麦を作っている区画があります(添付1)。敷藁を得るのが目的であるとのことです。

”麦秋”は、俳句では初夏の季語となっています。二十四節季の小満の末候で、”麦秋至(むぎのときいたる)” となっています。同じようなものに、”竹の秋” というのがあり、竹は春に黄変する(添付2)ので、晩春の季語となっています。逆に竹には、”竹の春” というのがあり、仲秋の季語となっています。それは、筍は秋には一人前の竹となり、若葉を茂らせることに依っています。

南湖はかっては、半農半漁の村でした。土地が砂地であるため、米作には適さず、専ら麦が作られていました。昔は麦の脱穀に、「クルリ」というものが使われていて、南湖の八雲神社には、南湖麦打唄記念碑が建てられています(添付3)。碑の冒頭の一節は、”麦打ちは、クルリを用いての脱穀作業であり、重労働であった。その疲労を紛らわすと共に、調子を整えるのに歌われたのが麦打ち唄である” となっています。

南湖麦打唄は、昭和54年に茅ヶ崎市の重要無形文化財に指定されています。クルリを使って歌いながらの脱穀作業が、ユーチューブに公開されています(添付4)。

たたなづく倭三山麦の秋

添付1
添付2
添付3
添付4 南湖麦打唄