俳句的生活(122)-地蔵菩薩ー

路傍の石仏で、私たちに最も馴染み深いのは、地蔵菩薩=お地蔵さんではないでしょうか。それは仏教の難しいことはさておき、私たちに、難治の治癒などなど具体的な功徳を恵んでくれる仏様として、人々に崇拝されてきたものだと思われます。また、交通の便の乏しい時代では、寺院に参拝するより、身近な路傍に置かれたお地蔵さんに崇敬が集まったのでしょう。

前稿および前々稿で、馬頭観音と道祖神を見てきましたが、茅ヶ崎で最古のものは、寛政と享保のものでした。茅ヶ崎最古の地蔵菩薩は、それらよりも古く、慶安4年(1651年)の銘があるもので、将軍家光の時代です。その地蔵菩薩は、今は、下町屋の梅雲寺に置かれています(添付写真1)。

お地蔵さんは、元々は路傍に置かれていたもので、それが今、お寺の中にあるというのは奇異な印象があります。推測ですが、おそらく何らかの事情で、寺の中、それも墓地の中に移されたのではないかと思っています。それを裏づけるものとして、このお地蔵さんの脇には、多くの小さい石仏が積まれて山のようになっているのがあります(添付写真2)。明らかにこれらは、寺の外にあったものが、寺の中に寄せ集められたものです。お地蔵さんは、これらの石仏と一緒に、現在地に移されたものに違いありません。

梅雲寺は、東海道と鎌倉古道に近く、石仏たちは、もともとはこの二つの道にあったものでしょう。村人たちは、参勤交代の行列が通る東海道より、鎌倉古道を生活道にしていたでしょうから、これらの石仏たちは、鎌倉古道にあったものというのが、私の推測です。もしかすると、廃仏毀釈の嵐を逃れるため、墓地に避難させたものかも知れません。

宝冠の欠けし地蔵や冬立ちぬ

地蔵菩薩
添付1
石仏
添付2