鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第一話 丹波の若侍(3)

第3回 役に立たぬ腕

 夜明け前、村の外れで騒ぎが起きた。

 最初に聞こえたのは、怒鳴り声だった。続いて、何かが倒れる音。
 朔太郎は浅い眠りから身を起こし、外へ出た。空はまだ白み切らず、山の稜線が黒く沈んでいる。

 納屋の前に、数人の若者が集まっていた。

 身なりは百姓に近い。だが、腰のあたりが重そうだ。近づくにつれ、理由が分かった。
 古いが手入れのされた刀を帯びている。

 地侍くずれだろう。
 かつては誰かに仕え、今はどこにも属していない者たちだ。

 酒が入っているらしく、顔は赤く、言葉は荒い。

 「どっちが先に取ったんや」
 「抜け駆けする気か」

 理由は些細だった。
 だが、鬱屈は溜まっている。

 「やめとき」

 誰かが言った。
 だが、聞く耳は持なかった。

 朔太郎は、一歩踏み出した。

 「やめろ」

 声を張ると、若者たちの視線が一斉に向いた。
 旅装の武士。腰の大刀。
 一瞬、場の動きが鈍る。

 地侍くずれの若者が朔太郎の肩をつかんで押してきた。
 朔太郎も相手を押し戻す。
 剣は抜かない。
 力でねじ伏せるつもりもなかった。

 だが、相手は素直に引かなかった。

 「何や、よそ者の侍か」
 「この村のことは知らんやろ」

 若者の一人が、朔太郎の肩を突いた。
 体勢が崩れる。

 その一瞬を逃さず、別の者が、鞘から刀を抜いた。

 遅れた。

 朔太郎も、刀を抜いた。

創作小説の挿絵

 抜いた瞬間、場の空気が変わった。
 だが、それは収まる方向ではなかった。

 朔太郎は刀を抜いたものの斬る気はない、だが下がればこち  らが引いたことになる。

 その逡巡を、相手は見逃さなかった。

 突きが来た。浅い。
 避けられるはずだった。

 だが、朔太郎の動きは、一拍遅れた。

 刃が交わり、乾いた音がした。
 腕に、強い痺れが走る。

 そのときだった。

 「もうええ」

 低い声が、場を割った。

 間に入ったのは、年嵩の百姓だった。
 昨日、堂の前で会った男だ。
 山仕事で鍛えた体つきだが、刀は帯びていない。

 「朝から血を見ることもあらへんやろ」
 「誰の得にもならん」

 命令ではなかった。
 叱責でもなかった。

若者たちは、一拍だけ動きを止めた。
朔太郎には分からなかったが、
この男の言葉には、村の重みがあった。

 舌打ちが一つ。
 刀が、鞘に戻る。

 騒ぎは、それで終わった。


 後に残ったのは、気まずい沈黙だった。

 誰も怪我はしていない。
 だが、誰も感謝はしなかった。

 「余計なことせんでも……」

 そんな声が、どこからか落ちてきた。

 朔太郎は、刀を鞘に納めた。
 腕の痺れが、まだ消えない。

 腕が鈍ったわけではない。
 力が足りなかったわけでもない。

 足りなかったのは、場を収める言葉だった。


 日が高くなる頃、村人たちはそれぞれの仕事に戻っていった。

 畑に出る者。
 山へ入る者。

 地侍くずれの若者たちは、どこへともなく散っていく。

 朔太郎は、村外れに立ち尽くしていた。

 役に立ったとは、言い難い。
 だが、何もしなかったわけでもない。

 それでも胸に残ったのは、重たい空白だった。

 剣の腕ではない。
 だが、では何が足りないのか。

 答えは、まだ言葉にならなかった。

 山の方から、風が吹き下ろしてくる。
 木々が、ざわりと鳴った。

 朔太郎は、そちらを一度だけ見やり、
 再び、歩き出した。