鬼を狩る子孫 第十二話 大江山(9)
小式部内侍
列車は、山陰本線の線路を北へと進んでいた。
京都市内を離れると、車窓の景色はゆっくりと変わる。
住宅が途切れ、田畑が広がり、やがて低い山並みが迫ってくる。
「さっき話してた “大江山” やけどな」
向かいの座席で、嵐山が口を開いた。
「今から行く大江山は、
酒呑童子の大江山や」
悠夜は顔を上げる。
「…… “本物の” ってことですか」
「せや。ただしな」
嵐山は少し間を置いた。
「さっき話した
小式部内侍の歌に出てくる大江山とは、別モンや」
蓮がすかさず言う。
「え、同じ名前なのに?」
「名前が同じだけや」
嵐山は笑った。
「小式部内侍の歌の “大江山” は、
丹波国と山城国の境にある “歌枕” の大江山や」
嵐山は、窓の外を指し示すように続ける。
「平安時代の貴族が京都から丹後へ行くとき、
必ず越えなあかん峠やった」
――大江山いくのの道は遠ければ
――まだふみもみず天の橋立

「この歌な」
嵐山は、声に出して詠んだ。
「小式部内侍が即興で詠んだ歌や」
真衣が首をかしげる。
「即興……って?」
「からかわれたんや」
嵐山は、少し楽しそうに言った。
「藤原公任の息子がな、
『あんたの歌は、母親の和泉式部に作ってもろてるんちゃうか』
――そう言うた」
「ひどい……」
「せやろ」
嵐山は頷く。
「ほんでな、小式部内侍は
母親がその場におらん状況で、即座にこの歌を返した」
悠夜は、はっとする。
「……それで、“まだ踏みもみず” なんですね」
「せや」
嵐山は指を立てる。
「『丹後へ行く途中の大江山にも、まだ足を踏み入れてへん』
――つまり、
母親に会う前に、この歌を詠んだって証明した。それから
“ふみもみず” は “文も見ず” にもかけている」
蓮が息をのむ。
「頭の回転、速すぎませんか……」
「せやから、
この歌は “才女の証明” として語り継がれた」
嵐山は、そこで話を切り替えた。
「せやけどな」
声が少し低くなる。
「酒呑童子の大江山は、
その “大江山” とは、場所も意味も違う」
列車は、福知山に近づいていた。
「酒呑童子の大江山は、
丹後国と丹波国の境目、もっと北側や」
「じゃあ……」
悠夜が言う。
「後から、同じ名前を当てはめたんですか?」
「その通りや」
嵐山は、はっきり答えた。
「酒呑童子の話が
“物語として整えられた” のは、平安後期から鎌倉初期や」
嵐山は、指を折って説明する。
「源頼光と四天王。
渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武」
「このメンバーが、
“都を脅かす鬼を討つ” という軍記的構図ができた」
真衣が言う。
「……じゃあ、最初から伝説だったわけじゃない?」
「ちゃう」
嵐山は首を振る。
「最初はな、
都の外にいる “怖い存在” を、物語に押し込める必要があった」
「山に、鬼を置く」
「武士に、討たせる」
「それで、秩序が守られたって話にする」
悠夜は、ふと気づく。
「……軍記ですね」
「せや」
嵐山は笑った。
「酒呑童子は、
最初から “山に棲んでた鬼” やない」
「物語の都合で、山に配置された存在や」
列車は、福知山駅に滑り込んだ。
ホームに降り立つと、空気が少し冷たい。
「ここで資料館に行く」
嵐山は言った。
「学芸員に会う」
「この人な、
“鬼の話を、ちゃんと史料で語れる”人や」
蓮が首を傾げる。
「“ちゃんと”って?」
「酒呑童子の話をな」
嵐山は歩き出しながら言った。
「面白おかしい昔話にせんと、
いつ、誰が、何のために語った話か――
そこから話してくれる」
悠夜は、背筋が少し伸びるのを感じた。
鬼は、最初から “鬼” だったのではない。
物語の中で、
都の外へ、
山へ、
配置されていった存在。
そして今――
その核心へ向かおうとしている。

