鬼を狩る子孫 第十二話 大江山(7)

吉田山

嵐山の実家に着いたのは、昼を少し回った頃だった。

 下鴨神社の社殿の西、糺の森の縁に沿うようにして、古い家が並んでいる。その一角に、嵐山の生家はあった。

「……静かですね」

 真衣が、小さく言った。

 車の音はほとんど聞こえない。
 聞こえるのは、風に揺れる木々のざわめきと、どこかで鳴く鳥の声だけだった。

「この辺りはな」
 嵐山が言う。
「昔から、こんなもんや」

 門をくぐる前で、嵐山は一度立ち止まった。

「せっかく来たし、先に話しとこか」

 三人は、自然と嵐山の方を向く。

「うちの家はな、**社家(しゃけ)**や」

 蓮が首をかしげる。
「……神社の人、ですか?」

「神主とは、ちょっと違う」

 嵐山は、ゆっくり言葉を選んだ。

「社家いうんは、
 代々、特定の神社に仕えてきた家や」

 家として、神社と一緒に生きてきた。
 祭礼を整え、儀式を支え、文書を残し、土地を守る。

「神職の資格を持つもんもおるし、
 必ずしも表に出る役やないことも多い」

 悠夜は、ふと気づく。
「……じゃあ、嵐山先生の家は」

「下鴨に関わって、七百年ほど、やな」

 三人が、思わず息をのむ。

「そんな顔せんでええ」
 嵐山は笑った。
「別に、偉い話やない。
 ただ、長いだけや」

 時代が変わるたびに、役割も変わった。
 明治以降は、社家という制度自体が表に出にくくなった。

「今はな、
 “昔、そういう家やった”
 それだけの話や」

 嵐山は、門の内側を振り返った。

「せやけど、
 物語だけは、残る」

 その言い方に、悠夜はどこか引っかかるものを覚えた。

 午後は、まだ長い。

「時間あるな」
 嵐山が言った。
「吉田山、登ってみよか」

 糺の森の中を、四人は歩き出す。

 白砂を敷いた長い参道。
 木立の間を抜ける光。
 足音だけが、静かに響く。

「……ここ、きれいですね」
 真衣が言う。

「昔から、変わらん」
 嵐山は答える。
「この道、
 百年二百年じゃ済まへん」

 出町柳を抜け、百万遍へ出る。

 人通りが増え、学生の声が混じる。

「ここが京都大学か」
 悠夜が言う。

「せや」
 嵐山は、正門の方をちらりと見る。
「昔は三高やった」

 吉田神社の境内に入り、さらに山道へ。

 息は少し上がるが、道は険しくない。

 やがて、視界が開けた。

 山頂に立つ石碑。

「……紅もゆる」
 蓮が声に出して読む。

 旧制第三高等学校の寮歌、
 『逍遥の歌』 の碑だった。

創作小説の挿絵

 嵐山は、石碑を見上げたまま言った。

「ここな」
 一拍置いて。
「“学問の山” でもあり、
 “物語の山” でもある」

 山の下には、京の町。
 遠くには、鴨川の流れ。

「京都はな」
 嵐山は続ける。
「歩いた距離より、
 積み重なった時間の方が長い」

 悠夜は、ふと思った。

 相模川の自然堤防。
 流れを失った川の跡。

 ここもまた、
 “消えたもの” の上に立っている。

 吉田山の風が、頬を撫でる。

 嵐山は、静かに言った。

「鬼の話もな」
 振り返って、笑う。
「こういう場所から、生まれる」

 三人は、黙ってうなずいた。

 まだこのときは、
 その言葉が、
 これから何を呼び寄せるのか――

 誰も、知らなかった。