2022年9月3日 / 最終更新日時 : 2022年9月3日 管理者 新聞に見る満蒙への道 満蒙への道(24)ー北進南守か南進北守か(2)ー ぞなもしと風呂に浸かるや赤とんぼ 游々子 大正12年の国防方針に対して、在野から疑義を唱えた人がいました。反戦の軍人と称されている水野広徳という人です。彼は高浜虚子より1歳年下の松山出身で、夏目漱石が英語教師として赴任 […]
2022年9月2日 / 最終更新日時 : 2022年9月2日 管理者 新聞に見る満蒙への道 満蒙への道(23)ー北進南守か南進北守か(1)ー 椰子の葉を叩くスコール銀婚式 游々子 太平洋戦争後、盛んに取り上げられた論は、陸軍悪玉・海軍善玉という説でした。即ち海軍は日独伊三国同盟に反対であり、日米開戦にも反対であったが、陸軍によって押し切られたという説です。し […]
2022年8月17日 / 最終更新日時 : 2022年8月17日 管理者 新聞に見る満蒙への道 満蒙への道(22)ー満蒙奥地探検(10) 梅棹忠夫(3)ー 梅棹のモンゴルにおけるフィールドワークは、各ゲルに遊牧民をたずね、どのように遊牧移動しているかを尋ねることから始まっています。そうすると、草が豊富にある草原の遊牧民であっても、草が貧弱な草原の遊牧民より移動回数が多いとい […]
2022年8月16日 / 最終更新日時 : 2022年8月16日 管理者 新聞に見る満蒙への道 満蒙への道(21)ー満蒙奥地探検(9) 梅棹忠夫(2)ー 蒙古馬と並走麦の秋の汽車 游々子 梅棹忠夫は生粋の京都人です。彼は京都で生まれ、府立一中、三高、京都帝国大学と進み、大学を卒業したのは昭和18年9月でした。出陣学徒の壮行会が、雨降りしきる神宮外苑競技場で行われたのは、 […]
2022年8月15日 / 最終更新日時 : 2022年8月15日 管理者 新聞に見る満蒙への道 満蒙への道(20)-満蒙奥地探検(8) 梅棹忠夫(1)ー 祇園会や夕月かかる東山 游々子 満蒙奥地探検(1)で、日露戦争直後に三高生によって作詞された ”逍遥の歌” の3番の歌詞で、モンゴルのゴビ砂漠が詠われていることを紹介しましたが、モンゴルを研究テーマとした学究の中には、 […]