俳句的生活(275)-浜松旅行ー
3月中旬、関西と東海に居住する学友と私を合わせての4人で、奥浜名のホテルで一泊する小旅行を行いました。一日目は浜松城を見学。江戸時代、浜松からは老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人を出していて、”出世城” と呼ばれていたそうです。天保改革の水野忠邦もこの5人の老中のひとりです。
松魚は ”かつお” と読みます。松島十湖という人は江戸末期に浜松で生まれた俳人です。生涯に創った句は八千と言われています。
現在の浜松城天守は戦後に再建されたものですが、石垣は野積みと言われる作り方のもので、家康がまだ三河の小大名であった時のものです。
二日目は浜名湖の遊覧船に乗り、春を満喫してきました。
遠江を包む茜や夕永し 游々子
春光を塗るかのごとき浜名かな 々
出世せずとも浜名湖のうなぎ喰ふ 々
しだるゝや水の中なる紅枝垂 々