俳句的生活(265)-平塚(1)茅ヶ崎市との境界線ー

俳句的生活というブログを始めて3年目となりました。主に茅ヶ崎の地誌や歴史、人物について記してきましたが、200回近くのブログで茅ヶ崎についてはほぼ書き尽くした感があります。そこでお隣の平塚に足を伸ばして、気になる事柄を記していきたいと思います。

私事になりますが、私は歯の治療を平塚の歯科クリニックで受けていて、ビル5階の治療の席からは西の方角に高麗山がみえます。数年前までは安藤広重の浮世絵のように、高麗山の脇に富士山が見えていたのですが、いつの間にかにマンションが建ち、その眺望が失われてしまいました。マンションの名前は「○○○パレス平塚見附」というもので、平塚には宿場があったことを想起させてくれます。

そんなこんなで、平塚のことを調べてみようという気持ちになり、第1回目として、茅ケ崎との市境について記したいと思います。

茅ヶ崎との市境は相模川であると普通は思ってしまうのですが、実際はそうではなく、次の地図の赤線が市境となっているのです。

平塚と茅ケ崎の境界線

このように、相模川下流では左岸(茅ケ崎側)の一部が平塚市の行政区域となっているのですが、具体的には ”馬入” と ”須賀” という二つの地区が相模川の東岸に食い込んでいるのです。馬入に着目すると、その区域は次のように赤線の示すようになっています。

馬入区域

馬入地区が相模川によって、真っ二つに東西に分割されているのが判ります。これはどうしても馬入地区が、相模川の氾濫で流路が西に移動したことによる分断によるものとしか考えられません。もう一つ、東方の須賀という地名については、江戸時代の初期に、須賀の清野彦ヱ門という人が開墾した土地ということで、須賀の地名が残っていることになっています。現在は須賀の飛び地ということです。

次回以降、江戸時代の馬入村、須賀村について記述していくことにします。