京大俳句会(8)-第171回(令和5年5月)-

今回の兼題は「麦秋、麦の秋」です。

麦

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1  青梅に葉隠れの術ありさうな           つよし

2  アルプスは代馬消えて青田風          游々子

北アルプスに白馬岳という山がある。春になり雪が溶けて岩肌が現れると、その形が馬に似ているというので、その山は白馬岳(代馬岳)と呼ばれるようになった。それが田植えをする合図でもあった。さらに季節が進み、雪解けと共に白馬も消えると、田植えした苗は青々と育ち、そこにはアルプスの風が吹いている。句はそのような農事を詠んだものです。(游々子 自句自解)

3  牛蛙地より生えたる低声(ひくごえ)も     吟

美しい睡蓮の池のどこからか、低いうなり声が聞こえます。でも、姿が見えない。先日やっと岸に這いあがっていた泥だらけのそれを見つけました。(吟 自句自解)

4  車椅子グーグルマップで春遍路         のんき


「遍路」は春の季語だから、ここで使うのはもったいない気もします。でもこの作者の感覚として、その言葉が立ち上がる現実感を大事にされる。車椅子でGoogleをあちこちしながらこの春の陽気をあびてに遍路の旅がしたいという気持ちが強く伝わっています。作者の実感その場を有様に思い至ると、いつもながら、ほのぼのした気持になります。(吟)

5  原爆の町で非核を祈念する           嵐麿

いいたい気持ちはわかりますがこれでは型通りの新聞記事みたい。「ヒロシマ」と「靖国神社」は戦後の日本の国民感情を集約象徴するものですから、この題材で俳句なり川柳なりの「短詩」の味わいを出そうとすると、「原爆」「非核」「祈念」 どれも言い古されていますし、ハマりすぎている。結局どれも生かされていない。いろいろの思惑あっての「G7」でしたから、そういう文明批評のひねりも少し欲しい、京大俳句のひとつの特徴は
この批評精神です。京大俳句の戦前の大作家、西東三鬼「広島や卵食うとき口ひらく」というのがありま。いわずして戦後直後の市井の風景と時代の危機感を出しています。先達のこういうところを学んでほしい。(吟)

6  高気圧はきらい唇が甘くないから        武史

7  自転車の吸いこまれ行く麦の秋          つよし

熟れた麦の畑、その広がりと自転車の動くさまが快い。吸い込まれる」が好きです。(吟)

8  友の寄す青き香りや豆御飯          幸男

「青き香り」で季節感が一息に言われ、かつ友情のすなおな吐露もいいと思います。(吟)

9  鳥の歌カザルスも負けず風に乗る         明美

10  麦秋の香ばしき風待ち遠し            明美

すっきりとすなおに今の気持ちを出しておられて、「香ばしき待ち遠し」など感心しました。(吟)

11  麦秋やなにかさみしき呼び名なり         のんき

12  麦秋や血のなかに消えるぼくの数式        武史

武史さん久々に考えている句ができてきたのでうれしい。血液循環の数式ってあるのかも知れませんね。(吟)

13  麦秋や夢見る虎の麦酒かけ            嵐麿

14  妣そはの妣よ鎌持ち麦の秋            吟

死んだ母たちは、子を負ぶって、鋭い鎌で麦を刈っていたのです。それこそが庶民の生きる姿なのだとおもいました。(吟 自句自解)

15  ポストには納税通知麦の秋            楽蜂

ポストは、受け取る方のポストですね。樂蜂さんのこの生活感とりあわせも、この時期におよんで出てきたもの。結婚通知書とかそんなのでは似合いませんね。こういう生活の事象との取り合わせ、もっと見せてほしかった。(吟)

16  野生馬と並走麦の秋の汽車            游々子

この作者の句は、とかく観光写真のようになるきらいがありますが、これは、野生馬エネルギーや趨¥走る速度と機械文明の硬質のはやさが対比されていて、麦秋の中を疾走する異なる種類の動きがうまくマッチしたものです。(吟)

17  流鏑馬の白馬悲しき目で歩む           楽蜂

18  吾もまた踏まれて育つ麦の秋          幸男