写真で見るプレバト俳句添削(24)ー6月23日ー

今回は、名人十段の千原ジュニアと、永世名人のフルポン村上、梅沢富美男の3人です。お題はガッツポーズ。

千原さん: 村上さんが永世名人になるのに3年掛かっている。自分はもうちょっと早めになりたい。

原句 夏いよよサンドバッグは歪みけり  千原ジュニア

サンドバッグ

千原さん: 夏がいよいよ来るんです。その夏には試合があるんです。ボクサーの方が本当に同じパンチをずっと練習されたことで、ふっと見るとサンドバッグが歪んでいる。色んな人たちの想いが詰まっているんやろな~と思った。

梅沢さん: 「けり」が失敗。
村上さん: 着眼はちゃんと10段になられたんだ。「けり」は「かな」でもいけるんじゃないですか。「けり」ってムズイ。

夏井さん: この句のポイントは、下五に「けり」を選択した是非です。

浜田さん: 一つ前進! 先生から「切れ字が判ってきましたね」

夏井さん: 「けり」は過去の意味をもっている助動詞、それが次第に詠嘆に使われるようになった。ここが今日の一番大事なポイントなんですけど、この切れ字は、その状況が元々ずっとあったのに、今本人がハッと気付いた。これが「けり」の詠嘆なんです。それをこの句に当てはめてみましょう。”サンドバッグが歪んでいる” という状況はずっとあった。夏がいよいよ盛んになってきたなと思ってハッと見ると、この歪みはずっと練習してきたその成果の歪みであるよ、とそういう感動をこの「けり」は表す。ですからこの句を褒めるのは当り前ですけど、この「けり」が判らず、「かな」でも良いのではと言った残りの二人を降格させてやりたい!

千原さんは星一つとなり、藤モンと並びました。

游々子:「かな」に置き換えるとこの句は、”夏いよよサンドバッグの歪みかな” となり、現在の状況としての歪みだけを詠嘆することになり、原句より明らかに劣ります。「けり」は現在完了を表す助動詞で、過去における継続をニュアンスとして持っているので、この場合に適した切れ字と言えます。


フルポン村上は、今回が永世名人としての初挑戦です。

原句 延長の末に引き分け夏の月  フルポン村上

スコアボード

村上さん: 引き分けの試合の熱気が収まって、月をみて涼しさにも気付いた。

梅沢さん: これはお前、普通の俳句だよ。
村上さん: そんなことないですよ。
梅沢さん: 冗談ポパイのほうれん草
浜田さん: そんな言葉ないよ。ジュニアさん、どう思われます?
千原さん: いいと思うけど、スーっとしていて、もっと村上臭が欲しい。あっさり村上チンゲン菜ですね。

浜田さん: そんな言葉ない! ボツ! 先生から「フツー」。

夏井さん: いかにも普通以外の何物でもない。この引き分けを、残念がっているのか、又はよく引き分けたと思っているのか、くらいはこの季語を使って表現できる、出来てこその永世名人と私は思います。ということは、夏の月の別の言い方として、”月凉し” があるでしょ。そうすると、この引き分けというのは、あんまり勝負にこだわってない、あるいはよく引き分けた、と肯定的になる。逆に引き分けで悔しかったら、「延長は引き分け夏の月赤し」とすれば、暑苦しい感じとなり、引き分けの意味が読んだ人にちゃんと伝わる。永世名人を舐めたらいけないですよ、あなた!

游々子: 月や虹のような季語に、夏や春をつけて、夏の○○、春の○○ のように詠んだ場合は、字数の制約からどうしても、スーっとした淡白な句となってしまいます。その淡白さが受けて、名句とされているものは、多々あるのですが、我々レベルの場合には、夏井さんが問題としたような批判にさらされることの方が、多くなります。ついつい安易に、夏の○○ とやってしまうのですが、注意したいものです。”夏の月” の傍題として、”月凉し” は使用価値が高そうで、知っていて損はありません。


梅沢さんは句集発行まであと5句と迫っています。

原句 バーディで上がるホールや青葉木菟  梅沢富美男

 

青葉木菟

梅沢さん: 青葉木菟は「ホッホッホ」と鳴く。私たち素人は、バーディは大変に嬉しいこと。そんなとき青葉木菟も、「ホーホー」と私を歓迎してくれる。

浜田さん: 村上さん、どうですか。
村上さん: ダメであって欲しい。

浜田さん: ボツ! 先生から「はしゃぎすぎ」

夏井さん: 中七の「や」で、はしゃぎが出過ぎている。
梅沢さん: その詠嘆がダメなの?
夏井さん: ダメなの! 「や」はとに角、諦めてください。

添削 バーディで上がる青葉木菟のホール

夏井さん: こうすると、俺よりも「青葉木菟」が前に出てくる。謙虚さが必要です。

游々子: 俳句で「はしゃぎ」を詠んではいけない、という決まりはないはずなので、バーディとってはしゃいだのなら、はしゃいだ句で充分と思います。