俳句的生活(50)-雄三通りー

ラチエン通りに27個の標識があったので、雄三通りはどうなっているのかと、自転車を走らせました。驚いたことに、通りを示す標識はなく、添付の写真の旗のようなものが、通りの全てを埋め尽くしていました。「コエ」を届けるということが、何のことなのか、初めは判らなかったのですが、調べてみると、本人の声ではなく、AIで合成した声を、市内各所の施設で流すというものでした。

直ぐに想像がついたのですが、昨年、軽い小脳出血を起こし、現在リハビリ中であるので、声には影響が出ていて、そのままでは、コロナ禍でのエールメッセージを伝えることが出来ないのだろうと思いました。施設での音声はまだ聴いていないのですが、タブレットでの音声はそれなりのものでした。早く回復して、元気な姿を見せてほしいものです。

この通りの名前の由来は、父親である上原謙の自宅があったことによるもので、彼も31歳で結婚するまでは、その家ですごしています。その家は134号線に近く、今はマンションが建っています。

加山雄三のイメージは何といっても”若大将”です。この映画は、1961年から1971年までの間に16本作られました。退廃したプチブル的な太陽族映画に代わり、別の湘南のイメージ、健康で爽やかな、将に日本が高度成長をつき進んでいた時期にぴったりのものとなりました。加山が主役に選抜された理由は、時の東宝社長であった藤本真澄が、俳優は映画の主人公と等身大でなければならないという条件を付け、加山を呼んで話をしたところ、加山はお婆ちゃん子であり、大食漢であったところが、藤本が求めていたものに合致し、更に、田沼雄一は加山に合わせて作られたキャラクターとなりました。

意外かも知れませんが、若大将シリーズ=海ということで、ロケ地は湘南と思われがちですが、そうではないのです。田沼の大学は京南大学で、ロケは西宮の関西学院大学で行われていて、海も、西宮沖で撮影されているのです。これは制作会社が東宝であり、宝塚に近いところがロケ地に選ばれたからでしょう。

しかしながら、加山が茅ヶ崎育ちであるという事実から、若大将シリーズ=海=湘南というイメージが作られていきました。茅ヶ崎の一つの通りが「雄三通り」となっていったのも、必然かも知れません。

君といつまでの途絶えぬ夏の海

雄三通り
雄三通り