俳句的生活(49)-ラチエン通りー

茅ヶ崎南口には、海への道が5本あります。ラチエン通り、雄三通り、サザン通り、高砂通り、一中通りです。今日よりこの5本の道を紹介することにします。

先日、自転車でラチエン通りを走っていると、道の両側に、「ラチエン通り」の標識が数多く掲げられていることに気付き、若松町交差点から松ヶ丘交差点までの数を数えてみたところ、なんと27個にも達しました。この「通り」の人達が、いまだにルドルフ・ラチエンを深く敬愛している証であろうと思った次第です。ラチエンの1万5千坪の別荘地のあった処は、松ヶ丘交差点を原点とすると第1象限のエリアで、別荘跡地は現在、茅ケ崎屈指の高級住宅街区となっています。

ラチエン通りは、1国の松林中学校入口交差点を起点として、一直線に南へ降した道で、その先に烏帽子岩が臨めることでも有名な通りです。それもそのはずで、この道は、もともとは、ともに幕領であった小和田村と茅ヶ崎村の境を決めるために、幕府が東海道から真南に烏帽子岩が見えるように線引きをした道であるからです。

ラチエンはこの通りに桜を植え、かっては桜道と呼ばれたそうですが、残念ながら今は一本も残っていません。代わりに、駅南口から徳洲会病院の前を通り、浜竹通りへと続く道が今、桜道と名付けられています。が、徳洲会の前に申し訳ないばかりに数本の幼木が植えられているだけで、それ以外何もありません。東京では、八重洲北口から丸善の前を通り、新大橋通りへと続く道が、桜道と呼ばれ、ビルの谷間のような道の両側に、実際、桜が植えられています。日当たりが悪いためにひょろ長い桜ではありますが、春には立派に花をつけます。1国の歩道整備のために、二つあった一里塚のひとつを削ってしまったのもそうですが、既存の立派なものを生かす形で開発するのでなければ、貧しくなる一方だと思ってしまいます。

梅雨明くやラチエン通り烏帽子岩

ラチエン通りからの烏帽子岩
ラチエン通りからの烏帽子岩