俳句的生活(45)-小津映画の茅ケ崎海岸ー

北鎌倉の居宅、東京のオフィスや小料理屋、その二つを繋ぐ横須賀線が、小津映画での”あらすじ”を作る主な場面であるとすれば、作品に頻繁に出てくる茅ヶ崎海岸は、私はそれは”わさび”であると思っています。本稿を綴るにあたって、茅ヶ崎海岸が出てくる小津の三作品を通して観ましたので、その印象を以下に記します。

昭和24年の作に「晩春」というのがあります。東京に買い物に出た紀子(原節子)は偶然、父親(笠智衆)の旧友と会い、小料理屋へ行きます。その旧友が再婚したことが話題になりますが、これは、紀子の結婚がテーマである本作の導入線です。文学者である父親には助手がついていて、ある日、紀子と助手は自転車で北鎌倉から七里ガ浜を通って茅ヶ崎までサイクリングします。その道というのが、現在、国道134号線となる湘南遊歩道です。まだ占領下の時点で、標識は英語でマイルによる速度制限や、コカコーラの宣伝が英語になっていて、時代を感じさせる道路でした。その場面で印象的なのは、自転車をこぐ原節子の表情が、同じ時期に作られた「青い山脈」の役での自転車の場面と瓜二つということでした。古い上着を脱ぎ棄てて、新しい時代と向き合う、茅ヶ崎の海は”雪割桜”の意味合いを小津は持たせているのだと感じました。

この印象は、2年後の昭和26年に作られた「麦秋」でも同じでした。ラストシーンで、紀子(原節子)は嫂(三宅邦子)と北鎌倉の居宅を出て海岸を散歩します。烏帽子岩が映っていることで、茅ヶ崎海岸でのロケであったことは明白です。嫂は、子持ちの男性と結婚しようとする紀子の真意を確かめるための散歩への誘い出しでしたが、しっかりとした紀子の結婚観を、小津はセリフにしていて、ここにも古い時代と決別する生き方を紹介しているのです。

三つ目の作品は「早春」という昭和31年のもので、原節子も笠智衆も登場せず、主人公の居宅は蒲田なのですが、海は矢張り茅ヶ崎なのです。主人公や会社の同僚の若者たちがハイキングを湘南遊歩道でしているのです。若者の一人が岸恵子であることを思えば、どんなに健康的で明るいハイキングであるかを想像できると思います。ここでも小津は、次世代を担う若者を、前途洋々のものとして描き、エンディングとしているのです。

三作品とも、茅ヶ崎の海は、旧時代から新時代への転換を象徴するスパイスとして使われています。充分に青く深みのある味になっていると思いました。

梅雨明くや湘南遊歩大通り

1938年の湘南遊歩道
「茅ヶ崎市史ブックレット11湘南の風景」より