添削(59)-あすなろ会(15)令和6年5月ー

怜さん

原句 風薫る仏と我のみ秋篠寺

秋篠寺山門
秋篠寺山門

秋篠寺は平城京の北西に位置し、奈良時代の後期に創建されたお寺で、技芸天女で有名な処です。作者は風薫る季節にここを訪れて、自分以外に人が居なかったことを詠みました。この寺には堀辰雄が昭和16年10月、伎芸天を見るために訪れていて、「大和路・信濃路」では次のように叙述しています。此処はなかなかいい村だ。寺もいい。いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい。そうしてこんな何気ない御堂のなかに、ずっと昔から、こういう匂いの高い天女の像が身をひそませていてくだすったのかとおもうと、本当にありがたい。

本句、中句が8音になっているので、”のみ” を ”の” とした方が良いでしょう(参考例1)。俳句としては、天女に焦点を当てる内容にした方が、詩的になると思います(参考例2)。

参考例1 風薫る仏と我の秋篠寺
参考例2 風薫る天女の笑むる御堂かな
 

原句 箸置を竹で作りて夏料理 

箸置きは作られるものですから、”作りて” は不要です。こうした料理の句を詠むときは、思いっきり美味しそうなものにするのがコツです。

参考例 若竹の箸置きまぶし夏料理

原句 鳴門行く舟飲み込まん卯波かな

”卯波かな” を下句としたとき、中句の後半を、「○○○の」とし、「○○○の卯波かな」とするとリズムが良くなります。本句は語順を変えれば、そのようになります。尚「込まん」の旧仮名表記は「込まむ」です。

参考例 舟を飲み込まむ鳴門の卯波かな

弘介さん

原句 川床に群れる小魚夏料理

貴船の川床
貴船の川床

京都北山の貴船での夏料理でしょうか。水面に近く張り出した川床から、小魚の群れが見える、という句です。季題の ”夏料理” を下五に置いた場合、前句と同じように「〇○○の夏料理」とした方がリズムが良くなります。川床に替えて貴船を使ってみます。

参考例 小魚の跳ねる貴船の夏料理 

原句 門札は横文字表記風薫る

門札がアルファベットの横文字であった、という句です。但し、それを述べただけでは、季題 ”風薫る” を膨らませたことになりませんので、一工夫が必要です。外人さんが近所に新しく転居して来て、これからの交流が楽しみだというシチュエーションを参考例としました。

参考例 横文字となりし門札風薫る

原句 病葉を透かして見ゆる木の息吹

樹に去年の病葉が残っているが、樹には新たな生命力がみなぎって、青々とした葉を茂らせている中に樹の息吹を感じた、という自然の輪廻を思わせる句です。着想もリズムも良く、直しは要りません。

蒼草さん

原句 白南風や光集むる蛇笏の碑 

飯田蛇笏の句碑は全国に沢山あります。作者の詠んだ蛇笏の碑はどこのものでしょうか。中句の ”光集むる” は、どこの句碑であるかが推察できる措辞に代えた方が良いでしょう。参考例は蛇笏の代表句「芋の露連山影を正しうす」に連動するもので、句碑は 甲府の舞鶴城址に置かれています。

蛇笏の句碑
飯田蛇笏「芋の露連山影を正しうす」の句碑

参考例 白南風や連山見上ぐ蛇笏の碑

原句 一条の滝の連れゆく浄土かな

平安時代、臨終の際には浄土から阿弥陀仏や様々な菩薩がお迎えにくるという、来迎思想が広まりました。その時に糸で手をつなげば間違いなく浄土へ導かれるということで、平等院を建立した藤原頼通も糸で阿弥陀仏と手を繋いだと謂われています。原句では ”一条の滝” をこの糸に見立てたものです。原句の ”連れゆく” は「連行する」というニュアンスがありますので、参考例では柔らかい表現にしました。

参考例 一条の滝の導く浄土かな

原句 夕日影東山浮く鱧料理

鴨川西岸に設えられた川床桟敷からは、左京の町並みの先に東山が眺められ、夕日が当たった東山が浮き上がって見えるものです。鱧は川床料理の定番となっています。鱧と東山、この二つが近景と遠景の対となるように詠むのが良いでしょう。

参考例 鱧てらす灯や夕影の東山

遥香さん

原句 白南風や海辺のカフェのミントティ

情景のよく見える句ですが、物足りなさを感じます。その理由は、上五の季語に取り合わせた12音が、カフェで飲むミントティというだけで、またそのカフェが海辺にあるというだけになっていて、刻み込んだ何かが欠けているためです。中句 ”海辺” も ”カフェ” も場所を特定しただけに過ぎません。また、カフェにミントティを繋げても発見性はなく、面白みがありません。もしこのカフェが湘南の浜にあるものとすれば、サーファーが集うカフェーとして、参考例のようなものが考えられるでしょう。

湘南海岸のカフェ
湘南海岸のカフェ

参考例 白南風やサンダル履きの浜のカフェ

原句 夕映えの病葉金の彩となり

”金の彩(いろ)” という措辞にインパクトがあります。上五を ”の” で病葉に繋げていますが、そうすると夕映えは病葉に映ったものだけに限定されます。ここは ”や” とした方が、夕空の全体に広がりが生まれ、ここはそうした方が良いと思います。”や” で切るかどうかは常に悩むところで、あの芭蕉ですら、現在に伝わる「行く春を近江の人と惜しみたる」は推敲したあとのもので、初めは「行く春や近江の人と惜しみたる」としていたのです。この句の場合は絶対に ”を” とし、”行く春” を「惜しむ」の目的語にしなければいけないものです。逆に原句では、”や” として、広がりを持たす方が、句が深いものとなります。

参考例 夕映えや病葉金の彩となり

原句 母の日と言へど外せぬ割烹着

母の日に、夫が妻に代わって台所に立つ、ということもあり得るだろうと思って、私は「母の日や厨を統べる夫の声」というのを出句しましたが、女性から見れば、原句のようなことであるのでしょうね。参考例1では、”外せぬ” を ”畳めぬ” に替えてみました。参考例2では、平成と昭和での母ということで、自分も昭和の母を継いでちゃんと平成で母を務めあげたよ、という内容のものとしてみました。 

参考例1 母の日と言へど畳めぬ割烹着
参考例2 母の日や平成の母昭和の母

游々子

病葉や大地に還る力あり
褥(しとね)より見上ぐ巣立ちの刹那かな
さみだるる能登に希なす棚田かな