俳句的生活(282)-芭蕉の詠んだ京・近江(5)大津絵ー

20年前のことになりますが、家内と車を駆って京都まで行ったことがあります。車があると色々な処へ行けるもので、この時は帰途、大津に寄り、三井寺の近くにある大津絵師の工房で、額に装丁された絵を一つ買って来ました。「鬼の念仏」と称されるもので、江戸時代に上方に来た人が買っていく大津絵の中で最も人気の高かった図案です。この鬼の念仏を描いた絵師は、高橋松山(しょうざん)という当代大津絵を代表する絵師です。

大津絵

ここに描かれている鬼は、人の心そのものを表していると言われています。僧の姿をした鬼は「偽善者」を表し、衣装や小道具だけ真似ても本当の僧には成れないことを表現しています。

芭蕉は元禄四年の正月を、大津で迎えていて、次のような大津絵の句を詠んでいます。

大津絵の筆のはじめは何仏  (元禄四年正月四日 芭蕉48歳)

芭蕉の時代の大津絵は仏画が多く、どの仏から書き始めるのか、と問うた句です。

この句の前書きは、”三日口を閉ぢて、正月四日に題す” となっていて、正月三が日は句作することなく、四日になって初めて作句したことが判ります。芭蕉がこの句を詠んだ処は、弟子の乙訓(おつくに)という人の宅で、ここでは年末に次のような句も詠んでいます。

人に家を買はせて我は年忘れ  (元禄三年十二月)

この句は、門人の乙訓が新宅に招いてくれたことを、”人に買はせて” と表現して、興じているものです。こうした句が、いわゆる「軽み」というものでしょうか。

ところで、この大津絵の句は、石碑が円城寺町の円満寺門跡の中に置かれています。鬼のレリーフには、松山師の銘が刻まれています。

大津絵の句碑

芭蕉は孤高の人と思われがちですが、決して孤独ではなく、大勢の門人と親しく交わり、幸せな人生を送った俳人なのです。