京大俳句会(12)-第175回(令和5年9月)-

京大俳句会は虚子も参加した「京大三高俳句会」をルーツとするものです。この会の発起大会は、大正9年2月に虚子も参加して、京大の学生集会所で行われています。明治40年に作られたこの建物は、建て替えられることなく現在に至っています。

京大学生集会所
京大学生集会所

1  ああ昭和愛を捩じって情死に果てる          武史

「ああ昭和」なのか「ああ昭和愛」なのか、とちらかと迷うが、先の方でいただくのが自然だろう。恋愛に昭和のカタチなどというものがあるのだろうか、「情死」つまり不倫の恋の果てこじれて(捩じる)と言い留める。しかし好みから言えば「昭和愛」である。これは、時代(のモラル)と心中することなんだ、と最後まで見栄昭和の男だ、オーソドックスな俳句から外れ続けようと意志によって、一句独立の詩句となっている。(吟)

2  仰向けの熊蝉軍装のまま死に逝けり          楽蜂

私は或る朝、偶然「油虫」のあおむけ死を発見した。みすぼらしいその姿に心を動かされた。「熊蟬」でなければこの「軍装」は出てこない。(吟)

筆者の幼少の頃、関西ではクマゼミはほとんど観られなかった。背中が黒光りしており、蛇腹になった腹部には橙の前垂れがあるなかなか立派な蝉で、たまに捕まえることがあるとすごく嬉しかった。それが今では温暖化のせいで、夏中うるさいほど鳴いており、希少性がなくなってしまった。(楽蜂自句自解)

3  あまの川流れて果ての花野かな            のんき

「花野」はとかく「果て」というイメージを誘い出す。「あまの川」「天の川」これは漢字とひらがなの違いを活かして、地上と銀河系宇宙をつないだものです。ここまで大きく世界を広げた言葉の動きがのんきさんらしい。お見事。(吟)

4  生くものの語り部なるや虫時雨            蒼草

絶対鳴き止めない(語りやめない)虫の声を、ひたむきに語りかける「語り部」に見立てたところがたいへん面白い。(吟)

5  無花果の飢餓の頃の実温かく             游々子

やわらかなまだ日のぬくもりのある「無花果」を掌に置いてそっと食べた。同時にふっと飢えていた頃これを食べた思い出が重なって、無花果も手の中で温かく、心もじわっと温かくなる。そこに人生上の意味が混戦してくる。「温かく」で覆い納められた佳句になっていると読み取りました。気持がわかります。
「無花果の‥飢餓の頃‥実」と二つの文脈の世界が入っているので、分解すれば、いくつのセンテンスが作られます。この工夫には面白味があります。これは、現在と過去の時間を同時に言いたかったのですね。その二つの時間が「実」にかかり、「温かく」という情緒ある形容詞が上五中七全体にかかるので統一感ができる。(吟)

6  大峰の花野を囲む丸太かな              游々子

7  コスモスやスカーフなびく野辺の風          のんき

8  子規の忌や玻璃窓越しの小さき空           遥香

硝子の窓越しに眺める空が小さく見える。子規も病床から眺めたのでしょう、しかもあんなおおらかな句を作りました。子規忌偲びつつ学びたいものです。(吟)

9  十八年待って待たせて虎優勝             嵐麿

雌伏千年よりはみじかいけれど長かった。待った方も良く耐え抜いた。「待って待たせて」というじらし合う言い回し、軽妙な俗っぽさが安易でもあるが。野球ファンの心理はこうだろう、俳句欄での川柳。(吟)

10  巡礼の鈴の音渡る花野原              遥香

11  スカートのもようひろがる花野風          吟

先月に続いて、のんきさんの句と発想が似ている。私の句の反省点は、スカートの(裾野)に見立て→模様が花野の花々になる(溶け込む)→風の仕業で、・・と流したのだが、連想の移りには飛躍が無くて、平凡になってしまったことで、「ひろがる」が無駄な気がしてきたのでした。(吟自句自解)

12  説法に直立不動秋灯                つよし

 直立不動に、ひたむきな信心深さが現れている。そのままの姿勢で聞いているとさすがに肌寒く、あたりも暮れてきました。「秋灯」が直立不動の長い経過をあらわしている。(吟)

13  大宇宙海の星あり台風も             二宮

「海星」(ヒトデ)の漢字を離して、大きく宇宙においたところがテクニック。海上で発生する台風も宇宙に広がる。海にも星がいきている。作者には俳句の枠に嵌らない感覚がある。今回はホームラン級。(吟)

なんともスケールの大きい俳句である。たしかに回転する銀河系は宇宙の海に発生した台風のように見える。ギクシャクしているが、この発想はユニークで貴重と思う。(楽蜂)

14  田の畔を花野に変える草もあり           幸男

秋の畔の雑草や花をみつつ、あたかも大きな花野に見てしまう。近景を想像力で引き延ばして大きく見せる一つのやり方。少し抽象的なので、具体的な事物でそれを表現すれば別の趣が生まれそうです。(吟)

15  トラ花野育ちきれない花もあり           幸男

この句「トラ」の意味が解らない。下句の着想はいいと思います。うまく育ったから花いっぱいの「野」になっているが、それでも育ちきれない花もあったらしく、叢に枯れた部分もありまだらになっている。咲いてほしかった、の思いは伝わってくる。あ、もしかすると「トラ刈」の「トラ」でしょうか。(吟)

16  寝転べば富士の顔出す花野かな           つよし

逆に、立ったままでは富士山が見えない、というわけです。自分のカラダが花野にしずみ、その一部になったときにはじめてその目線から富士山の大きさを意識している。モノや風景の大小が、視線の位置で大きく変わることの好例。心の視点移動も面白い。つよしさん得意の大景の句ですが、これは特にユニーク。(吟)

17  花飾り誰が形見の秋野かな             楽蜂

秋の野が花いっぱいで飾られているのは、誰かが形見に置いていったものかもしれない。「花野」の熟語を解体している。往年の「京大俳句」に時々こういう知的な抒情詩があった。(吟)

18  花野に食い入る秋の爪爪爪              武史

これは興味深い。秋の爪とは花々のことかな。何かの強迫的映像かもしれない。それが食い入るとはかなり異様な幻想の景。「はなのにく いいるあきのつ めつめつめ」。17音に収まっているところも、なるほど、です。(吟)

19  二人して迷い惑いて花野行く            嵐麿

20  ぷち庭の近所とかわす花畠             二宮

21  蜜蜂の羽音に共生の明日を夢む           吟

ミツバチは送粉者として植物と共生している。これには長い進化の歴史があった。ただ条件が変わると、たちまち共生が寄生や捕食の関係に変わってしまうので、油断してはいけません。(楽蜂)

うちの小庭の柘榴と金木犀に、キイロスズメバチとオオスズメバチが同時に巣を作ってしまい、これは怖かった。ミツバチはましかな、と思うが刺されたらやはり痛い。生の闘争は人間も虫も変わりないだろう。共生は共生でやはり長い歴史が必要。こういう虫達には孤独という意識はないのだろうか? 樂蜂さんならではのコメントをありがとうございました。(吟)

22  夕花野とけゆく闇のけもの道            蒼草

感覚は解るが、「夕花野」「闇」「けもの道」すべて類縁語、かつ抽象的な空間。それで風景全体が大まかになってきて句の言葉―大景としても心景としても立ち上がらない。出来かかっているのに惜しいなと思いました。(吟)