俳句的生活(255)-蕪村の詠んだ京都(12)冬ごもりー

京都で冬を過ごしてみると、空はどんよりと曇り、寒さは骨身にしみて、改めてここは日本海性気候であることを痛感するものです。一方でそれは、”籠り居の詩人” である蕪村には、格好の季題を与えることとなりました。「冬ごもり」という季題です。蕪村にはまた、”冬ごもり” あるいは ”籠り居” にぴったりと当て嵌まる絵を描いています。国宝「夜色楼台図」です。

夜色楼台図

空は黒い墨が塗られ、雪の積もった山と屋根は無地の白で表現し、楼閣や二階建ての商家からは灯りが漏れています。この絵には次の二句がもっとも相応しいものと言えるでしょう。

うづみ火や我かくれ家も雪の中  (明和7年 蕪村55歳)
屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり

蕪村が ”隠れ家” とした住居ですが、その住居規模がどの程度のものであったのか、江戸の長屋よりは広く、京都の町家よりは狭い ”寓居” であったことぐらいしか判明しません。

桃源の路次の細さよ冬ごもり

という句の通り、寓居は表通りにではなく路地を入った処にありました。”桃源の路次” とは、陶淵明の桃源郷へは狭い路を通って入ると書かれているのを踏まえて、我が家も路地の奥にあるが、それは桃源郷のように誰からも邪魔されることのない別天地であると詠んでいるのです。

蕪村は日記で次のような内容のことを記しています。

安永3年11月某日(蕪村59歳の時)近くの日吉神社の角を東へ曲がって仏光寺通り途中から南へ入って奥まったところに閑静の空家ありと、とも(妻)が見つけて、またその釘隠町へ身元保証の請状も通り、急に話がきまって3日前移転する。狭いながらに前より一間多く猫のひたいの庭に緑も少々あって、画絹ものびのびと拡げられる心地なり。我が家の前で路地は行き止まり、つきあたりに地蔵尊一体おわします。あしもとに濃みどりのりゅうのひげなど生い茂る。

蕪村終焉の地
蕪村寓居跡

この路地は、昭和36年(1961年)まで残されていて、地蔵尊は昭和22年(1947年)まで路地の南の突き当たりにありました。蕪村宅(終焉の地)は地蔵尊の前に位置していたとのことです。

御忌の鐘波なき京のうねりかな  (明和6年 蕪村54歳)
ほととぎす平安京を筋違に  (明和8年 蕪村56歳)
遅き日や谺聞ゆる京の隅  (天明3年 蕪村68歳)

蕪村は自分の棲み処を ”京の隅” と表現し、平和に熟れた古都の風情を、心ゆくまで味わっていたのでした。