添削(52)-あすなろ会(7)令和5年9月ー

裾花さん

原句 新米の惣菜少なき夕餉かな

中句の「惣菜少なき」が説明的描写になっているので、映像の伴った言い方で詠んでみます。

参考例1 新米来(く)一汁だけの夕餉かな 
参考例2 新米の湯気の圧せる夕餉かな


原句 新酒汲む友の土産の九谷焼

九谷焼

この語順だと、一番強調されているのは ”九谷焼” となっています。作者が詠みたいのは、九谷焼が ”友の土産” であったことと、その九谷焼で新酒を汲んでいることであるので、語順を替えてそれを明確にします。

参考例 九谷焼は友の土産や新酒汲む


原句 見納めのスーパーブルームーンかな

スーパーブルームーンとはスーパームーン(月が最も地球に近づいた時の満月)とブルームーン(ひと月の中での二回目の満月)が同時に起きたときの事象です。月の地球に対しての周回軌道が楕円になっていることによって起きる現象で、今年(2023年)は8月30日に発生し、次は2029年3月に起きると計算されています。このように発生する時期が異なっているために、残念ながら季語にはなっていません。スーパームーンの和名として ”大満月” を使用して、季語の入った句にしてみます。

参考例 見納めにならじや秋の大満月


蒼草さん 

原句 甦る草木国土野分跡

中句の「草木国土」は、仏教の「草木国土悉皆成仏」からの引用で、生き物である草木も生き物でない国土も悉く全て仏と成る、ということを表しています。上句の「甦る」はそれが彼岸で仏になることと、野分あとの此岸で再生することの二つの意味を持たせたものです。ただ、”甦る” はどうしても説明語になってしまうので、避けて詠んだ方が良いでしょう。

参考例1 草木も国土も仏野分あと
参考例2 野分きて草木も土も仏かな


原句 函嶺の水鏡揺る白露かな

 

箱根お玉が池
箱根お玉が池

箱根で水鏡の張る池としては ”お玉が池” でしょうか。その水面が揺れるということで、お玉の悲しい伝説を想起します。そして時候は白露、季語ともぴったりと合った佳句で直しはありません。(中句は ”みずかがみゆる” と読みます。”揺る” は ”揺れる” の文語表現です。)


原句 星流る心に仕舞ふ恃(たの)みごと

本句は、流星ー願事ー心に仕舞う、という素直な内容のものですが、当たり前のことを述べたものになっています。中句の ”心に仕舞ふ” を生かすのであれば 下句では ”恃みごと” は外すべきで、下句の ”恃みごと” を生かすのであれば 中句の ”心に仕舞ふ” は使うべきではありません。

参考例 流星や心に仕舞ふ空の丈


遥香さん

原句 金継ぎの光ゆらめく新酒かな

金継ぎ
金継ぎの盃

金継ぎの盃に注がれた琥珀色の新酒、その底に浮かぶ金継ぎの線、なんとも贅沢なお酒の飲み方です。この句を見て、金継ぎの盃は酒を盛ってこそ、その芸術性は高まると認識しました。直すところのない佳句です。


原句 覚え初むあいうえの声秋の昼

入園前のお孫さんの仕草でしょうか、微笑ましい光景が眼に浮かびます。中句の ”あいうえ” が中途半端なので、”あいうえお” に対応するようにしてみます。

参考例1 覚え初むア行の五音秋の昼
参考例2 秋の昼覚え初めしの「あいうえお」


原句 流木の果ての静けさ野分跡

野分のあとの浜の光景を詠んだ句です。流木には ”もの思わせる” なにかがあって、それを本句では中句で ”果ての静けさ” と詠んでいますが、意味の取りづらい表現になっています。主観を出した句にするか、写生に徹するか、のどちらかで、意味の取りやすい句にした方が良いでしょう。

参考例1 流木の故郷はいずこ野分あと
参考例2 流木は竜の如しや野分あと


怜さん

原句 ジャズ祭(フェス)の街冷ますよに秋の声

サザンの公演
茅ヶ崎公園でのサザン公演

今年秋、茅ケ崎ではサザンのライブ公演が海岸で行われますが、終了してもその熱狂した熱は街を蔽っているものです。その熱を冷ますように虫が鳴いている、という光景を詠んだ素晴らしい名句です。当然直しはありません。


原句 今朝の秋サンダル五足干されおり

「今朝の秋」は季語「立秋」の傍題で、新暦8月7日ごろに当たっています。実際の時候は真夏の盛りで、中句の ”サンダル五足” は子供さんやお孫さんが海から帰ってきたものではないかと、想像を掻き立てます。本句も秀逸で直しは要りません。下句の助動詞「おり」は文語では「をり」と記載しますので、ご記憶ください。


原句 宮崎の新米送ると義母(はは)の文字

田舎から送ってくるものに父母の文字が書かれているという句は、類句が多いので、いかにユニーク性を出すかが、作句でのポイントになります。

参考例 新米来(く)一年ぶりの義母の文字


弘介さん

原句 山寺や桃青座せし石の苔

芭蕉像

本句は松尾芭蕉の奥の細道での、山形立石寺での句をベースとしています。桃青は芭蕉が若いときの俳号ですが、芭蕉は深川の芭蕉庵に住むようになった37歳のころより俳号を「芭蕉」としていますので、本句では「桃青」ではなく「俳聖」にした方が適切だと思います。

参考例 山寺や俳聖座せし石の苔


原句 朝刊の湿りに見ゆる白露かな

朝刊が湿っていることから、時候が「白露(はくろ)」になっていることを感じた、という句です。(白露は、”はくろ” と読むと 時候の季語、”しらつゆ” と読 むと天文の季語で、実際の露となります) 本句の問題点は、中句で使われている ”見ゆる” で、俳句では「見る」「聞く」「味わう」というような感覚の動詞は、そのままは使わない方が良いということになっています。

参考例 朝刊の湿る一面白露かな

  
原句 新走り蔵に古代のこうじ菌

酒蔵では、その蔵に固有の麹菌が宿っていて、雑菌を紛れ込ませないよう、細心の注意を払っています。本句はそこに注目したユニークな佳句です。ただ流石に ”古代” は言い過ぎで、”明治” 程度にしておいては如何でしょうか。

参考例 新走り蔵に明治の麹菌


游々子 

舟弁慶といふ炉端での新酒かな
ボランティアの点呼頼もし野分あと
実朝の海に怪しき秋の声