俳句的生活(239)-虚子の詠んだ京都(17)花篝ー

虚子は円山公園の枝垂桜をことのほか愛でていますが、それは夜桜にも及んでいます。当時は今のようにライトアップする技術がなく、篝火を焚いて花を照らすというものでした。そうした篝火は、花篝と称されています。

花篝
円山公園の花篝

昭和6年4月、虚子は四国からの帰りに京都に立ち寄り、わずか2日の滞在ですが、円山公園の夜桜を見物し、次のような花篝を季題とした句を詠んでいます。

花篝衰へつゝも人出かな  虚子(昭和6年4月)

この時期のライトアップは花篝しかありませんから、段々と火勢は衰えていきます。それでも人出は増えていくという、時間の流れを感じさせる句となっています。

虚無僧の一ぷくするや花篝  同上

虚無僧

私事ですが、小田原の入生田に枝垂桜で有名な紹太寺という寺があり、そこに普茶料理を専門とする料亭があります。夜の宴では庭に篝火が焚かれ、5人の普化宗の虚無僧が尺八を演奏してくれるのですが、虚子の場合も、円山公園でのこのような料亭で虚無僧の尺八を聴いたものと思われます。

普茶料理
長興山紹太寺の普茶料理

虚子は、松山へ戻ることが多いのはもちろんですが、松山以外にも四国へは度々訪れています。昭和6年4月の四国がどこだったのか、今手元にある資料では判らないのですが、昭和13年10月には、俳句の弟子が、善通寺の第11師団43連隊に入営したということで、高松栗林公園内での句会のあと、善通寺に寄り弟子に面会し、次の句を詠んでいます。

肌寒も残る寒さも身一つ  虚子(昭和13年10月)

この句で気になるのは、”肌寒” が秋の、”残る寒さ” が2月の季語で、季重なりになっていることですが、10月から2月までの寒さのなか、身一つで過ごさなければならず、健康に気を付けろよ、と言っている句で、季重なりを問題視するには当たらないのです。俳句の初心者講習会などでは、季重なりは全て駄目と排除していますが、これは俳句の奥深さに蓋をする指導方法で、直ぐにでも改めなければならないことです。

この時訪れた善通寺は私の生まれ故郷で、中学は自衛隊駐屯地の隣にありました。マラソンは「四三」と呼ばれていて、戦前の第43連隊の敷地の周囲を走ることを意味していました。第43連隊の門の写真を見ますと、背後に善通寺の山が映っていて、懐かしい限りです。

第43連隊
第43連隊の軍旗


花篝八坂の空を照らしをり  游々子