俳句的生活(236)-虚子の詠んだ京都(14)平八茶屋ー

鴨川を構成するY字の右肩の部分、八瀬から流れる高野川を、出町柳から約3km遡ったところに、400年の歴史をもつ「平八茶屋」という高級料亭があります。修学院と宝ヶ池の中間地点です。

平八茶屋の門
平八茶屋の門

虚子は明治40年4月、虞美人草の執筆準備のために京都を訪れていた夏目漱石を、この料亭に連れてきて川魚料理の昼食をしています。虞美人草の冒頭、甲野さんと宗近くんの二人が比叡山に登る場面で、平八茶屋は次のように描かれています。

「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだほうがよかった。
今から登ったって中途半端になるばかりだ。元来頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからかわかるものか、高の知れた京都の山だ」

この会話から、漱石が登った比叡山ルートは、平八茶屋の先からであることが想定され、私が大学の時に登った修学院の脇からの雲母坂(きららざか)ルートでないことだけは確かです。

明治時代の平八茶屋は次のようなものです。

明治時代の平八茶屋
明治時代の平八茶屋

昭和7年4月12日、虚子は25年ぶりに平八茶屋を訪れ、句会を催しています。そのときの句と文章は次のものです。

平八に自動車又も花の雨  虚子(昭和7年4月)

雨の花傘持ちかへて仰ぎたり  同上

来てみると建物などは昔の通りで、凡ての様子も変わって居ないやうに思はれたが、只、三布と称へる紺飛白の前垂れを纏うて居る大原女のやうな姿をしている婢が以前よりは若くて綺麗になっているやうに思はれた。髪も大原女が結ってゐるやうな髪ではなくって、ハイカラな束髪であった。

平八茶屋では、今も給仕さんは大原女装束をしていて、客の眼を楽しませてくれています。

大原女装束をした給仕さん
大原女装束の給仕さん

鮎のぼる八瀬を背にする高野川  游々子