山小舎便り(12)-令和5年7月28日ー

山の天気は不安定で、午前中は快晴であったのが、今は激しい雨が降り注いでいます。今日は試歩を午前中にやったのが正解で、しかも独活(ウド)が花を咲かせているのに出会いました。

ウドの花

ことわざに ”ウドの大木” というのがあって、ウドは木であると思われがちですが、実は多年草の草花で、冬には枯れて地上から姿を消し、春にまた芽を出すというものです。今年は5月初めに他の山菜と天婦羅にして食べたものです。この花は、秋には果実となり中に種が入っているので、今年は採種して、茅ケ崎で栽培してみようと思っています。

掌(てのひら)は甲より若し種子を採る  游々子

独活を使った俳句で、あ~いいな と思ったものが、プレバトにありました。アナウンサーの馬場典子さんが昨年の春光戦で詠んだ選ばざる道過る(よぎる)独活(うど)ほろ苦しという句です。このときのプレバトはブログに書いていますので、その部分を下に転記します。

馬場さんの説明: 自分は今47歳で独身、人生は選択の連続であったと思うが、選ばなかった道が、頭をつい過る時がある、そんなとき独活は、ほろ苦い中にもみずみずしさがあって、自分はどの道を選んだとしても、そこには苦しみも喜びもあったであろうと思ってしまう、というものでした。非常に深い句で、これでは他の3人の句を、どんなに直しても、この句を越えることは出来ないだろうと思いました。

夏井さんが、この句のリズムは漢詩的で、五七五を裏切っている、と述べたのには驚きました。評としては、馬場さんのコメントと同じ内容だったのですが、本戦に進むにあたってのアドバイスとして、”選ばざる” の過去形は、”選ばざりける” であると指摘し、次のように添削しました。

添削 独活ほろ苦し選ばざりける道もまた

游々子: 文法としてはこの添削の方が正しいものなのでしょうが、私は下五の ”もまた” に説明的な臭いを感じるのと、リズムも原句の方が五七五となっていて、私は原句の方を好みます。

あれほど激しく降っていた雨も今はやみ、青空がのぞいてきました。まさに ”驟雨” という字に相応しい雨でした。

湘南に根をおろすかや独活の花  游々子