俳句的生活(233)-虚子の詠んだ京都(11)龍安寺ー

龍安寺は洛西の金閣寺と仁和寺の間にある臨済宗の禅寺です。他の二寺が室町将軍や天皇による創建に対して、龍安寺は室町幕府の管領によるもので、創建者の格式は相当に劣るのですが、今では他の二寺と肩を並べる程の観光名所となっています。それはひとえに哲学的様相の石庭に依っています。

龍安寺石庭
龍安寺石庭

虚子は、昭和2年4月、前稿の北野と同じく松山の句会からの帰途に、これら三つの寺で花を愛でています。龍安寺では次の二句を詠んでいます。

この庭の遅日の石のいつまでも  虚子(昭和2年4月)

この句は「遅日(ちじつ)」が春の季語です。日永となった春の夕刻に方丈の縁から見る庭の石に、時間の永遠性を感じ取った、というもので、蕪村の 遅き日のつもりて遠き昔かな を連想させる句です。

龍安寺の開基は細川勝元、応仁の乱で東軍の総大将になったことで、乱がおこると直ぐに近くの西陣に拠点を置いた西軍によって焼かれています。龍安寺を再興し石庭を作ったのは、勝元の子の細川政元が応仁の乱の終結後、10年を経たころとなっています。

龍安寺のもう一つの逸品は ”知足の蹲(つくばい)” とよばれる手水鉢で、水戸光圀の寄進とされています。

龍安寺の蹲
吾唯足知のつくばい

これは、真ん中の口が上下左右の漢字の一部になっているもので、上から右回りに ”吾唯足知” となり、「われ、ただ足るを知る」と読むことが出来ます。

虚子は龍安寺でもう一句詠んでいます。

静かさや松に花ある龍安寺  虚子(昭和2年4月)

嵐山でも虚子は、松と桜を組み合わせて詠んでいますが、それだけ京都の名勝地には、桜を引き立てる松も多いということなのでしょう。

此石の一つにとまる春の蝶  游々子