添削(50)-あすなろ会(5)令和5年7月ー
裾花さん
原句 串焼きにならぬ小鮎を放しけり
作者の裾花さんは鮎釣りを趣味にしています。釣った鮎が小さいとリリースしているとのことです。リリースする理由として、串焼きにするしないの他に成魚になってないことがあるはずなので、上句にあえて助詞「も」を付け、本当は小鮎への慈しみであるのだがそれを表に出さず、串焼きにもならないと照れた表現にすると、句に味がでてきます。
参考例 串焼きにもならぬ小鮎を逃がしけり
原句 夕立に宿るとこなし釣人かな
釣人は ”ちょうじん”と読みます。下句が不安定なので、語順を変えて解消します。
参考例 釣人の宿るとこなき夕立かな
原句 古里の杏求めて店巡り
作者の裾花さんの故郷の長野県には、杏の村と呼ばれるところがあります。”求めて→巡る” の語順が説明的であるので、それを解消する工夫をしてみます。
参考例 古里の特産店の杏かな
蒼草さん
原句 翡翠の一閃の青堰に落つ
静止している翡翠が青色をしていると詠んだのでは、季語を説明しているだけになるのですが、本句は一閃が青と詠んだので一句となっています。飛び込んだ先が水をたたえた堰であるというのも、季語を豊かにしています。本句は翡翠を下句に置いた方が季語が強調されると思います。
参考例 堰に落つ青一閃の翡翠(ひすい)かな
原句 軒先の残り香ゆかし夕立あと
本句は ”残り” と ”あと” が重なっています。着眼したところは素敵です。
参考例 軒の香の何やらゆかし夕立あと
原句 首里城の万丈の黙朱夏に入る
中句の ”万丈の” は黙を形容したものですが、黙は ”首里城の黙” だけのものとし、形容するのは首里城にした方が良いでしょう。
参考例 再建の首里城の黙朱夏に入る
遥香さん
原句 夕立去り街は大きく深呼吸
夕立のあとは万物が再生した感があります。それを ”街は大きく深呼吸” としたのは素晴らしい着眼です。直すところのない佳句です。
原句 道草も寄り道もせず蟻の道
目的地に向かって何の迷いもなく行進する蟻の列、無理のない擬人化表現した佳句です。下五は ”蟻の列” とした方が良いでしょう。
参考例 道草も寄り道もせず蟻の列
原句 枝(え)に眠る一羽鴉や夏の月
この句から私(游々子)は、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で、寒月くんが俳劇論を展開する場面を連想しました。それは、
俳人虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生大(おおい)に俳味に感動したという思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木を入れて幕を引く。
というものです。本句は、枝に鴉が止まっているということだけで、それ以外のことは言っていないことによって、十分に俳味がでた秀句となっています。直しは要りません。
怜さん
原句 蟻の列追い続けていく吾子三才
ほほえましい光景です。小さい子供のこうした振る舞いをみると、こちらも幸福な気持ちになりますね。中句が8音になっているのを解消し、季語を強調するため語順を変えてみました。
参考例 吾子二才の追い続けゆく蟻の列
原句 キャンプの火落として一息夏の月
中句の ”一息” を一息つくことを暗示する行為で表現してみます。
参考例 キャンプの火落として帰る夏の月
原句 葭戸たて風に呼ばれて庭に出る
この句の問題点は動詞を三つ使っていることです。
参考例 葭戸たつ風の呼びくる狭庭かな
弘介さん
原句 緑陰や国史見つめる西山荘
西山荘は水戸光圀の隠居処で、光圀はここで「大日本史」の編纂に打ち込んだと言われています。中句以下は、国の歴史を光圀公が見つめてきた という意味ですが、”見つめる” が甘い表現になっていますので、国史を史書大日本史とし、その編纂が西山荘でなされた という意味にして、引き締まった表現にするのが良いでしょう。
参考例 緑陰や国史を草す西山荘
原句 里山に人・人・カメラ翡翠来る
ある里山に翡翠が飛翔している場所があり、それを撮影しに人が集まって来る場面を詠んだ句です。中句の ”人・人・カメラ” が臨場感に満ちた表現の佳句です。直しは要りません。
原句 尖塔の片陰しばし修道女
本句での ”しばし” の位置は、片陰が出来ているのが暫くの間だったのか、修道女が片陰の中に居たのが暫くの時間だったのか、両方に解釈できてしまいます。片陰の時間が ”しばし” であったことを明確にし、片陰で切った方が句は引き締まります。
参考例 尖塔の暫し片陰修道女
游々子
開演す伊都の遺跡の片かげり
ローマのカラカラ浴場遺跡で、夕刻開演の「アイーダ」を観たことがあります。遺跡そのものを舞台装置として使用した幻想的なオペラでした。観客席や舞台が遺跡の壁で片陰りになったころ、オペラは開演しました。(自句自解)
水売の空荷で帰る夏の月
江戸時代の行商の姿を詠みました。肩に担いだ天秤の荷のものを売り切り、貧しいながらも楽しい我家に帰るという行商人(棒手振り)の充足感を詠んだ句です。(自句自解)
蟻の空百万丈の木立かな
人間より遥かに小さい蟻からみた世界は、どんなものに見えているだろうかと想像して詠みました。(自句自解)